久しぶりに旧友に会った。
彼は愛知万博の際にトルコのブースで働いていたトルコ人で今年でけっこうな老境に達した。
そんな今日万博会場に程近いところで偶然彼を見て声をかけた。
彼は日本に住んでいて長いけど。
最近は近くの喫茶店に務めていて朝からコーヒー豆をいじるのが日課になっているようだけどそれがとても充実した毎日であって満足していると言っていた。
彼は日本語に堪能で日本の文化や歴史にもかなり精通している。
勉強がすきなのか? かなり熱心に知っている。
そんな折の際にある歴史の話をした。
明治37年〔1904〕に起こった日露戦争の話。
彼は当時オスマン帝国と言われていたとトルコと日本には共通の敵がいた。
帝政ロシア帝国。
日本は明治37年の2月に断交を宣言したあと直後 日本海軍駆逐艦による奇襲攻撃によって開戦した。
陸軍を率いる乃木希典将軍は遼会会戦、沙河会戦、旅順攻略などを行うが旅順攻略の鍵を握る203高地三を攻略されたことで旅順艦隊は壊滅し三度にわたる旅順攻撃の末にこの大要塞を制圧した。
さて話は海鮮に変わり。
東郷平八郎が率いる日本海軍が当時世界最強とよばれたバルチック艦隊と日本海で対峙。
この日本海海戦では参謀秋山真之は大本営に
敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃沈滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電した
日本海海戦は日本の圧勝に終わった。
バルチック艦隊は壊滅 21隻の損害を出した。
日本は水雷艇三隻だけだった。
トルコはこの時期ロシア帝国の南下のためクルミア半島を取られた時期だった。
トルコは日本に協力するために日本海までの航路を封鎖して時間を稼いだ。
ポーツマス条約で講和が成立したが事実上は日本の勝利に終わった。
当時のトルコの新聞は自国の戦争勝利のように賑わったという。
彼の祖父は日露戦争の起こった時期に生まれたそうなんだけど。
彼の祖父の名前は「トーゴー」といたらしい。
当時のトルコでは日露戦争後に生まれた子供に「トーゴー」とつける者が多かったそうです。
東郷平八郎にあやかって。
この事実を僕は今日彼から聞いて。とてもいい一日だったと思った。