matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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尾崎豊の軌跡を追う 二十代前編

二十代編は長くなるかもなんでここでとりあえず分割 NY~LIVECOREまではここで収録! とりあえずよろしく

笑顔

1988年 9月12日 東京ドーム ステージを降りた尾崎はギターをスタッフに手渡す・・ 舞台裏が見えるスタンド席からの声援に手を振り返すと尾崎はスタッフが待ち構えている出口へと消えていった。 部屋に戻るとスタッフに拍手で迎えられ、「お疲れ様」と皆に労…

LIVE CORE アンコール

一度ステージを降りたが、尾崎コールが続く。 いつものTシャツとジーンズの姿になると尾崎はスタッフに連れられてステージに戻った。 一度12弦ギターを渡されたが、スタッフへ戻すと尾崎はマイクを持ってステージへ・・ マイクの前に立つとスタッフが6弦…

LIVE CORE

1988年 9月12日 東京ドームとうとう開演となった、客電が落ちて観客のボルテージもあがる。カウントがとられ演奏が始まる、とてもシンプルなスタートであった。このライブの模様は映像作品 LIVE CORE完全版で確認できる。 LIVE CORE 完全版 ~ YUTAKA OZAKI I…

手前

1988年 9月12日 東京ドーム 開場時間が過ぎると各ゲートから人がなだれこむ・・ あっという間に約180℃ある客席は埋まってしまった、5万人弱の観客である。 尾崎はリハーサルを終えてから伸びきった髪を切っていた。 カメラマンの山内氏と談笑していると顔つ…

リハーサル

1988年 9月12日 東京ドーム 尾崎はスタッフに迎えられて一度事務所へと赴く、到着時刻は30分ほど遅れていた。 車でドームへ向かう途中ステージで着る衣装を探したいと言って原宿へ寄り道・・ O Z A K I と自分のコピーが書かれたポスターを見て苦笑い・…

12日

1988年 9月12日 どういうわけかこの日になると尾崎はなぜかケロリとしている。 観念したのか昨日とは違っている。 仕事にいこうと前向きであった。 寝坊はしていたが、仕事に向かう姿勢であった。 家には、事務所の人間が迎えにきたという。 夕方からが本番…

あーだこーだ

1988年 9月11日 ライブ前日の尾崎は荒れていた。 連日の宣言通り明日のライブには穴をあけると言いっ放しであった。 明日は仕事にいかない・・・ そう言っていたから髭は伸びっぱなし・・髪もかなり伸びていた・・ 尾崎を説得するのは不可能に近いと思われて…

10日間

1988年 9月 ライブまで10日を切った頃からライブをやりたくない そのライブに穴をあけると言い出して再び酒をのんだり、辛いものを食べたり ある喉や体を多少は気遣う必要のある尾崎には自傷行為の手前に等しいのかもしれない。 尾崎はドームでのライブを心…

行きたくないけど

1988年 9月 ライブが近づく・・ 東京ドームでの単独ライブである。 ミックジャガーの来日公演をその場で見て半年、そこからHOUND DOGのこけらおとし、BOOWYの事実上の解散ライブ・・ 完成したばかりのドームではビッグネームばかりがライブをしている。 そこ…

街路樹

1988年 9月1日 4thアルバム「街路樹」発売・・・ 最高2位・売上41.9万枚 約3年のインターバルを経て発売された4枚目のアルバム・・「街路樹」その模様は過去3枚のものとは違うがこれが今の尾崎であることを伝える作品となった。 完成までの経緯は良い事ば…

夏が終わる

1988年 8月下旬 夏が終わろうとしている・・ 暑さに負けそうだ・・・・・・・・・ ライブが迫っている 待ちに待った「街路樹」も発売される。 ファンにとっては待ち望んだ瞬間が近づいていた。 尾崎にとっても久しぶりのステージが待っている。 そこに昨年か…

日々

1988年 8月下旬 ライブに向けての日々 いつもなら、体を絞り、煙草をやめ酒を断つ。 そこが尾崎のプロ意識であったはずなのに、状況はもっと悪くなる一方であった。 ライブの日・仕事が近づきつつあった。

1988年 8月下旬 一方ソニーとマザーの間でこの時期から? 尾崎を巡って交渉が始まっている。 マザーは尾崎を手放すにあたって前年のツアー中断を含めた補填として億を超える補填金を要求したというが弁護士をたてた尾崎サイドも契約の不備をついて応戦すると…

近づく

1988年 8月下旬 再びライブのリハーサルが近づく・・ それまでの日々を尾崎はまた実家で過ごしていた。 日に日に、憂鬱になる・・チケットが完売していても今の事務所のために仕事はしたくなかった・・ 表面的には復活に向けて好調というのは仮の姿で尾崎の…

たばこ

1988年 8月 余談であるが尾崎は亡くなるまで煙草をやめなかったというか喫煙が普通の時代か 同時代のミュージシャンで今でも吸っている人のほうが少ないであろう。 筆者は吸ったことすらないのだが、ここまで価格が高騰すればやめざるをえないのであろうか。…

指折り

1988年 8月 尾崎はもうすぐ23歳になるところ・・ 21歳から22歳までの尾崎は暗愚な日々であったかもしれない。 もしくは大きな悩みか 18歳でライブデビューをしてから、20歳まで働きつめ・・ 尾崎もこれまでの出来事を指折りして数える。 18歳から数えていく…

5日のうちに3日

土曜から5日間の勤務が続く 今日で3日を終えたけど久し振りの連勤はきついのうー もう4日目からは元気がない感じ~

1988年 8月 海が見える・・ 夏にはあまりいいことがなかった尾崎・・ 高校生のときはバイク事故に停学・・ 十代でデビューした最初の夏には、野音で飛び降りて骨折・・その後のスケジュールはすべてキャンセルされたのである。 19歳の夏は多忙で輝かしい時期…

三崎海岸

1988年 8月11日 三崎海岸 撮影は海岸で行われた・・ 海を見て彼は何を思ったのか・・ この最中、ソニーへの復帰を考えた尾崎はソニーと連絡をとってマザーと交渉することを考えていた マザーから逃れることが彼のこの時期の願望であった・・ デビューから世…

撮影

1988年 8月11日 三崎FOLIOスタジオ 久々に撮影・・に入る前の1枚。 この日外でのロケという予定であったが、外は雨ということで変更された。 そんな天候のことを山内氏は尾崎天気とよんだそうだ・・

アクション

1988年 8月 リハーサルに熱がはいると、全面の鏡を使って動きにアクションをつけていく。 ファンには御なじみのボスの動きであった。 尾崎のことをあまり知らないスタッフからすれば、少しおかしく見えたかもしれないがボスのビデオを見てよく研究しているん…

アレンジ

1988年 8月 アレンジやらなんやらレゲエにして合わせてみてもレゲエにあまり馴染みがないのでしっくりこない・・ 仕方なくオリジナルにアレンジを戻したりと試行錯誤していた・・なにしろレコーディングとは違い一緒に音を出すのはこれが初めて・・簡単にい…

演奏曲

1988年 8月 なにを演奏するか、尾崎を交えた話し合いが続く・・ 「15の夜」、「十七歳の地図」と尾崎の代表曲のタイトルが挙げられる・・ 主に中心となった4thアルバム「街路樹」に収録された曲たちであった。 ライブは序盤を盛り上げるロックナンバーに…

1回目

1988年 8月 1回目のリハーサルが行われることになり、出演するプレイヤーはスタジオに集められた。 初日ということで、スタッフを含め大勢の人間がいたが尾崎はこの場所に定刻になっても現れずリハーサル開始は大幅に遅れたという。 数時間後、マネージャー…

本人

1988年 8月 コンサートの主役である尾崎はライブへの意欲がなかった・・ 今回が1回きりのライブであっても、今の事務所のためにはやりたくないという心境であった。 チケットは完売し、しっかりと休養した尾崎にはこの仕事しか残されてはいなかった・・ 彼が…

プレイヤー

1988年 8月 ほかにも井上陽水氏のライブに参加しているベーシストの高水健司を始め多くの人間を本多氏が集めたという。 高水氏も普段はスタジオでの仕事を主にしながらも ‘尾崎くんなら‘ ということで今回の出演を承諾したという。 ギターの土方隆之氏…

メンバー

1988年 8月 LIVE COREはたった1回きりのライブとうことで、マザーの社長福田氏の意向でこれまでとは違うスタジオミュージシャンを多く起用したまったく新しいバンドで構成された。 主に「太陽の破片」のレコーディングで楽曲のアレンジを手がけたサッ…

チケット代

1988年 8月 LIVE COREのライブチケットは3000円であった。 全席指定で金額は統一できたばかりであるし来るお客さんのほとんどは尾崎と同世代か年下ということを考慮してか尾崎のチケット代はマザー時代最高額でも3000円以上に到達したことはないの…

1988年 8月 マザーの社歌「ロックンロールにゃ金かかる」 ステージ衣装に電気代、マイクだ、コードだ、飯代だ♪ この曲が発表されるのは88年の冬であるが、コンサート1本を成立させるのに少なく見積もっても20人以上のスタッフが半年以上前からかき集め…