matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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軌跡の前のこと

その父

尾崎豊の父、尾崎健一氏。 健一氏が生まれたのは1926年12月6日愛知県半田市であった。 その後岐阜県高山市で青年期までの日々を過ごした。 明治大学法学部を卒業後に陸上自衛隊事務官として任官後1957年に絹枝氏と結婚するに至る。 1960年に長男の康氏が誕生…

軌跡の前のこと、とかいうカテゴリ

うおーーーー このカテゴリを忘れていたのではないだろうか? そんなこともないよー 今年はこのカテゴリも書いていくけど、どうぞよろしくです

まったく手つかず

思えばこっちの話をまったく書いていなかったが、しばし待たれたい そして、同時進行はやっぱり難しかった 近いうちに再開するのでそのときまで ではでは

軌跡とそのことを書き始めて

少し書いてみたが尾崎の少年時代というものにはどうも孤独というも要素が多いようにも思う。 筆者は仕方なくというよりも訪れるべくして訪れた母親との離別、これが尾崎の後々の創作活動に及ぼした「孤独」というものに強く影響力を与えたようにも思うが、筆…

その母

豊の母について書いておかねばならない、家族のことはとても重要である。 豊の母絹枝氏は旧姓を荒井といい、荒井絹枝氏は昭和5年10月24日生まれである。父の名は荒井庄右エ門、明治26年生まれ、母きよは明治30年生まれ。共に丹生川村の生まれである…

1965年12月6日 この生まれたばかりであるのに、生死をさ迷っていた豊くんはこの日に無事退院。 当時の自宅は後年の朝霞ではなく練馬区春日町の都営住宅であった。 空っ風が吹く寒い日であったという、豊くんに用意された寝床は父健一氏が手作りしつらえたも…

生まれたばかり

1965年 12月2日 どうでもいいことであるが、別のカテゴリでは彼のことを尾崎と呼んでいるが、このカテゴリでどう呼んでいくべきかまだ迷っているがしばらくは馴染み深い尾崎でいくことにしよう。 生まれて1週間ほど経った頃、尾崎は腸閉塞を起してしまい、母…

その男

どこから書くべきかということでまだ迷っている筆者がいる。 彼は時代に作り上げられたのか、時代が求めたのか?使命でも果たしたように大急ぎで去った。 何が真実で虚構であるかなどは別として彼が生きていたというのが紛れもない事実であるので、記してい…

序に加えて

まだこのカテゴリの本編は始まらないのだが、さきほどの記事に加えさせてもらうと、尾崎が亡くなって20年、そしてこのブログを始めて4年と随分と尾崎に関しては語り尽してきたような思いもあったのだけど、日々更新されていく情報たちのなかで俺の中の尾崎と…

はじめに

尾崎が亡くなって20年それに合わせてもう1度尾崎について語ろうというか、思いこして今まで考えてきた思いを吐き出すように始めたのが頻繁に更新している軌跡シリーズなんですが、そのシリーズはデビューした時の頃から始めたわけなんだけど、始めてもうちょ…