matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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尾崎豊の軌跡を追う 二十代編

佳境

1990年8月 レコーディングは佳境を迎える。 以前にも述べたが尾崎が今回のアルバム製作をするにあたって用意してきたデモテープは40曲に相当した。 20曲が選ばれさらに洗練され研ぎ澄まされた楽曲が世に送り出されることになった。 尾崎はこのアルバムのテー…

食事の話

1990年 8月 写真は間違いではないたまにはこんな話を‥ レコーディングというとスタジオでの作業が多くストレスがたまりやすい。 録音工程が遅れたりすることは多くスムーズに運ばないことがほとんどであるという。 そんなしんどい作業の楽しみの一つは食事で…

R&Sのマネージャー

1990年 8月 尾崎はR&Sにまだ所属している このとき尾崎を担当していたのは堀尾昌周氏という人であった。 堀尾氏は福岡で過ごした学生時代に地元イベンターでバイトをしていた時期に尾崎のステージをスタッフとして見たことが4回あったという。 わざわざ書く…

MIX

1990年 8月 レコーディングは佳境に入った。 行うべき作業はすべて行い、あとは完成までの行程をTD,MDと見守るだけであるが尾崎はそれにも参加している。 初めてプロデューサーとして自分の作品を手がけている。 復帰作がこれで売れてくれたらいいなと尾崎は…

冨林

1990年 7月 ヒルトンホテルの2階にある和食の店でしゃぶしゃぶを食べる尾崎と見城氏 たまに機嫌がいいと西麻布のイタリア料理屋までいくが執筆で疲れていることもあり尾崎がヒルトンホテルにいるときにはホテルの中にあるレストランでの食事が多かったよう…

ヒルトンホテル

1990年 7月 ヒルトンホテルのデラックスツインと呼ばれた部屋で尾崎は仕事をしていた。 手書きではなくワープロで主に原稿を書いていた。 書き上げた原稿のゲラはFAXで「カドカワ」の編集長である見城氏に届く。 それはいつも決まって朝であることが多かっ…

反響

1990年 7月 尾崎が「カドカワ」に載った事はファンにも大きな衝撃をあたえた。 新しいアルバムを作っていること、活動を始めようと準備していることこれはファンには朗報であった。 また尾崎にも取材の依頼が多くあり、仕事は軌道にのってきていた。 インタ…

態度

1990年 7月 スタジオにくると尾崎はサングラスをかけたままという日がある。これは彼なりの気持ちのアピールであったと後年にマネージャーを務めた鬼頭氏は書いているがサングラスをかけ続けているときには不機嫌であったとか。彼は怒りを口にすることもあれ…

会議

1990年 7月 話は前後するが筆者が永い事休んでいたので書き漏らした話があるのでここに載せる。 尾崎の総力特集が組まれた「月刊カドカワ」を刊行するに当たって、編集者会議では多くの人間が尾崎を起用することに反対した。 「街路樹」以降音楽活動としては…

尾崎豊の軌跡 二十代編について

長いこと更新をとめていましたが近々にまた書いていきたいと思います。 かなり尾崎豊という音楽から最近は遠ざかっていました。 また長い旅のようなものが始まりますがゆったりと読んでくれたらうれしいです。 matagorou

1990年 7月 遠い記憶を呼び覚ましながらなにかを考えている。 尾崎は時たまこの作品を作るときになにを考えたのであろうかと筆者も考えてみた。 尾崎はこれまでに4枚のアルバムを作っていた。 十代での3枚と一線を画した4thアルバム「街路樹」は長い難産の…

表紙

1990年 6月 月刊カドカワ7月号にの表紙は尾崎であった。 表題には「沈黙の行方」と書き、当時の尾崎の音楽業といえばスタジオに篭ってレコーディングをしているくらいのもので表紙掲載をして後押しをするには時期早々であった。 復活のアルバムも出してい…

調子のいいとき

1990年 6月 調子のいいとき・・滅多にないが気分がいいとき 夜は見城氏が尾崎を迎えて食事・・ ほとんどがしゃぶしゃぶ「冨林」であることが多かったが、特に尾崎の機嫌、調子がいいときは同じく西麻布でイタリアンを食べることがあった。 しかしそれも滅多…

集中

1990年 6月下旬 ヒルトンホテルの部屋でまた尾崎はワープロのキーを叩いている。 レコーディングもあれば当然体も疲れてくる。 この頃締め切りが近づいても原稿が書けないこともあったという。 1階にあるドラッグストアで買ってきた栄養ドリンクを飲んでは…

身近

1990年 6月 尾崎の総力取材を行った。 見城氏は角川書店という会社員という垣根を越えて尾崎を支援した。 それほど彼の復活にかけていたということだ。 バレたらクビだったと回想もしている、仕事柄の付き合いから始まったとはいえ延長というには深い関係に…

書き

1990年 6月 レコーディングの中休み日。 尾崎はヒルトンホテルで原稿を書いていた。 「カドカワ」で掲載する原稿だけでも「黄昏ゆく街で」「白紙の散乱」と多くの原稿が必要であった。 原稿を書き終わるのは明け方近くまでになることが多かった。 レコーディ…

余談

1990年 6月 以前にも述べたが尾崎はこの時期R&Sという事務所に所属している。 初めてマザーから別の事務所に変わったわけであるがこれまでの尾崎の楽曲の版権はマザーが所持している。 (厳密にいえばマザーの管理会社グランドマザー・ミュージックビジョン…

願い

1990年 6月 レコーディングが佳境にはいってきた。 行程では大まかに夏までには録音を終えてそこからはトラックダウンまでの作業完成後にはツアーがある。 この頃からR&S主導による新アルバム「誕生」・・のコンサートツアーを企画していることろで尾崎豊復…

分身

1990年 6月 アルバムタイトルは「誕生」というものである 「誕生」そして「永遠の胸」という2曲がアルバムの中核をなしていおり、ダブルアルバム2枚組みとして売り出す大きな要素であった。 沈黙を破り彼の作ってきた曲には生活者としてのものが多いが隠れ…

まるで宗教

1990年 6月 以前の活動の中で彼は「教祖」という括りで表記されることが多かった。 それはライブでのパフォーマンスがそうさせたものもあったが、彼の売り方やメディアへの対応、楽曲もその「教祖」ということに拍車をかけることであったのであろう。 尾崎自…

一歩前へ

1990年 6月 レコーディングは再び始まる。 スタジオに尾崎がいつもくる時間は遅れることが多かった。 これにはスタッフも閉口するばかりであるが、たまに手に傷を負っていたりとデタラメな私生活が伺えることもしばしば続いていたようである。

お酒の席

1990年 6月 酒の席にはただ音楽に精通する者同士という空気が流れて非常に良い雰囲気であったという。 尾崎はそんな席でもこのアルバムに臨む思いをスタッフに熱弁したともいう。 彼なりの必死ですべてをこの作品にかけていると。 1枚のアルバム、レコードを…

コミュニケーション

1990 6月 1日のレコーディングが終わると須藤氏は尾崎を飲みに誘った。 もちろん、ほかのスタッフやミュージシャンも一緒に。 一緒のバンドでもなければ初めて音を出す人々でもある、尾崎がどんな音楽を聞いてきたかなにに興味があるのかそんなことを引き出…

神経内科

1990年 6月 レコーディングというのは尾崎もスタッフも神経をすり減らす作業だ。 空いた時間に尾崎はスタジオ近くの神経内科によく通ってはそこから出る処方箋が欠かせなくなっていた。 日々のストレスから薬の量も増えていく毎日であった。

この人も

1990年 6月 錯乱する尾崎それをなだめるのは彼とは長い付き合いのある須藤氏であったがそれも功をなすことは少なかったという。 尾崎をR&Sに紹介したのは須藤氏で彼の面子というものもある意味丸つぶれであったのではないだろうか? R&Sもとんでもない爆弾…

事務所スタッフたち

1990年 6月 レコーディングには多くの事務所スタッフつまりR&Sのスタッフも参加していた。 尾崎という人間については業界人ということもあり少しは予備知識があったのかもしれないが彼らはたまに錯乱する尾崎の対応におわれた。 終いには 「おまえらどうせ…

やつあたり

1990年 6月 仕事のストレスは体調不良からもくる、録音の段階で声が出なければ尾崎のイライラはつのるばかりであった。 処方薬で体調を立て直しても疲れきった体から出る声は疲れている。 スタッフは尾崎を気遣いつつも、その気遣いこそも尾崎にはストレスで…

KISSと尾崎

1990年 6月 KISSという曲は「仕事」というよりは社会に出てから起こりうることがよく歌われている。 尾崎は後に個人事務所「アイソトープ」を設立してから、たぶんそれまではあまり着てこなかったであろうスーツを着て、出社してはほかの従業員と同じように…

処方箋

1990年 6月 レコーディングと並行して行われる尾崎の仕事には執筆活動が加わっていた。 この多忙さは十代最後のアルバムにもなった「壊れた扉から」を作っているときにも酷似している。 久々の仕事の連続に体がついていけていないといってもよかった。 その…

黄昏ゆく街で・・

1990年 5月 「黄昏ゆく街で」これはNYでの新婚生活のことを書いた曲であったことは以前に書いた。 尾崎にとってNYという街は何度も訪れているところだ。 19歳で一ヶ月の滞在を経た後20歳での少ない時間と21歳になってからの僅かな時間をここで過ごしたあと、…