matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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尾崎豊の軌跡を追う 十代編

十代編完結ー どうもありがとうございます

えーどうもです、筆者のmatagorouです、どっかでは勇の名前ですが。どもども なんだかんだで最初に書いたのが2年前の11月だったんですけど、いつの間にか時間は過ぎていって 去年のブログの更新は本当にこのカテゴリを書き尽くすためにあったんじゃないか…

地図の終り

尾崎は活動を休止、この始まったばかりの86年にあまり尾崎の目立った行動はなく、その生活の半分はNYで過ごしていたことになる。 いざ年譜を作って簡単に尾崎の事を書いてみても86年はその数行の言葉で足りてしまうくらいに尾崎 「個人」としての活動…

終り

福岡国際センターでのライブで尾崎がこれまで11月から行ってきた、ツアーは終りを迎えた。 元旦でのライブを終えるとその打ち上げでは、総じての慰労会ともなった。 尾崎は翌日の飛行機で都内へと帰り。 これまでにあった肉体的、精神的な疲れをいやすた…

福岡国際センター アンコール2

1986年 1月1日 福岡国際センター 最後に挨拶をすると観客達からは賞賛そして、「ありがとうー!」という声が届く中 「頼む!もう1曲歌ってくれ!!」 という声の中ローディーが12弦ギターを尾崎の元に持って駆け寄ってくる。 尾崎はピアニストの樫…

福岡国際センター スタッフ紹介

1986年 1月1日 福岡国際センター 曲が終ると尾崎はギターをローディ-に渡してメンバーを一列にして、頭を下げてから喋り出す。 「今夜は本当にどうもありがとう、今夜の俺たちをこんなに暖かく受け止めてくれたことをメンバースタッフ一同、本当に感…

福岡国際センター アンコール

1986年 1月1日 福岡国際センター 尾崎コールに応えると先にメンバーたちがステージへと戻っていく。 演奏はすぐに始まり、それと同時に尾崎はステージ中央で歌い出す、衣装も先ほどのジャケットは脱ぎ捨て、Tシャツとジーンズといういつものシンプル…

福岡国際センター

1986年 1月1日 福岡国際センター 午前中から会場に入っていた尾崎はリハーサルを始める。 開場時間は元旦ということもあり、早めの午後3時30分からであり、開演時間は午後4時30分であった。 リハーサルを終えると楽屋で煙草を吹かしながらメンバ…

福岡へ

1985年 12月31日 大晦日の羽田空港は帰省ラッシュの客で溢れかえっていた。 マネージャーのソラチを伴って現れた尾崎はメンバーたちろラウンジで煙草を1本吸い終える社長の福田氏が面子をまとめあげて飛行機への搭乗を開始する。 ラジオからは翌日…

85年という1年

福岡国際センターでのライブを残すのみとなった尾崎であるが、この85年という年は始まってからこの終わりがけである年末までアーティストとして、初めてフル稼働した1年となった。 振り返れば1月に行った東京の日本青年館公演に加えて、新曲をカップリングし…

長岡市立劇場

1985年12月27日 長岡市立劇場 1日を移動日にして尾崎は長岡市まできていた。 年末ということで地方のこうして使える公共文化施設というものには年末には休館日が多く、ギリギリの 日程で行ったライブでもあった。 新潟からは上越新幹線で1時間ほどの距離であ…

復活アンコール

1985年 12月26日 新潟県民会館 尾崎の体調は完全に回復はしていないが、アンコールに出る。 Freeze Moonで激しくシャウトすると、尾崎はまた舞台袖で息を整えている。 再度の尾崎コールに応える。 1曲目の「ILOVEYOU」を歌っている際に観客…

倒れる

1985年 12月26日 新潟県民会館 コンサート終盤の尾崎は、「15の夜」を歌い終わった際に倒れた。 倒れるパフォーマンスではなく、立ち上がることもなくスタッフは急いでステージで倒れた尾崎を担いで 舞台袖から楽屋へと運ぶ。 ステージが終ってか…

新潟県民会館

1985年 12月26日 新潟県民会館 ソラチは尾崎を暗くなった舞台袖へと懐中電灯をもって案内している。 開演時間を過ぎた頃に始まったライブは始めから尾崎の勢いに観客ものせられていく形となった。 コンサートが進んでいくと中盤尾崎はピアノをバック…

尾崎の思い

1985年 12月26日 新潟県民会館 リハーサルを終えた尾崎は打ち合わせを行う。 尾崎、マネージャーのソラチ、舞台監督の江坂氏などが席に座って、それぞれ片手に煙草をかざして話をする。 尾崎は切り出す 「Freeze Moonやって、ILOVEYOU、シェリーって…

リハーサル

1985年 12月26日 新潟県民会館 午後から始まったリハーサルはギターのサウンドチェックに余念がない。 チューニングがあっているか、音の反響はどうかをPAに尋ねる。 各曲の音出しが始まると、本番さながらに尾崎は歌う。 その間にもスタッフたち…

楽屋外

1985年 12月26日 新潟県民会館 楽屋で荷物をおとした尾崎はリハーサルを行うためにホールへとむかう。 これを先導するのもマネージャーであるソラチの仕事でもある。 尾崎を迎える前には、今日のタイムスケジュールを記したプリントを会館の各所に貼り…

会館の中

1985年 12月26日 新潟県民会館 会館へ到着すると同時であったが、撮影クルーによる撮影が到着と同時に始まっていた。 余談ながら ‘この日は撮影‘もしくは‘撮影予定‘ というような予告や通達はされることがなく、現場に到着すると撮影が始まっており…

雪の新潟

1985年 12月26日 新潟 2日空いて尾崎は新潟にきていた。 午前中には雪に覆われていた、ライブ会場である新潟県民会館へイベンターの車で乗り合わせてきていた。 まだ早い時間帯であるというのに尾崎を待って行列を作っていたファンは歓声をあげて、…

松本市社会文化会館

1985年 12月24日 松本市社会文化会館 少しの休みを経て尾崎は長野県、松本市にきていた。 長野県を訪れたのはこれで2度目になるが、長野市ではなく、松本市にきている。 ライブが始まると尾崎は、中盤でのハイスクールRock`n`Rollの間奏でいつもの…

郡山文化センター

1985年 12月19日 郡山文化センター 東北ツアー最終日、尾崎は福島にいた。 開館となったのが昨年の1984年と真新しい外観には今まできた古ぼけた会館という思いを抱いた人間はあまりなかったことであろう。 座席数も2000席近く、この東北ツア…

新庄市民会館

1985年 12月18日 新庄市民会館 移動をすばやく行って、尾崎は新庄にきていた。 昨年に始まったばかりのファーストツアーで訪れて以来の地でもあった。 雪が積もる会館の周りを数百人のファンが寒い中列を作っていた。 疲れながらもリハーサルを終え…

山形県民会館

1985年 12月17日 山形県民会館 尾崎は東北にきていた。 この山形から3日かけて東北でライブを行う。 2日のインターバルを経た山形でのライブ後に尾崎はすぐに翌日ライブを行う新庄へと移動を行う。 豪雪地帯を移動することには抜かりがないように…

予定

尾崎はツアーの途上にある。 しかし以前にも書いたこのツアー以後のスケジュールは空白のままでもある。 懸案としてあるのが新たにかく小説を完成させそれを映画化、もちろん尾崎豊主演、脚本である。 誰もが尾崎の翌年の活動に注目していたことであろう。 …

平市民会館

1985年 12月15日 平市民会館 東北に尾崎はきていた。 ツアーの鉄則ではあるが、まとめて東北地方をまわてライブをこなしていく。 少し空席のあるコンサートがあっても人口を考慮すれば仕方のないことも多かった。 しかしこのような地方でも空席があ…

ツアーの名前

LAST TEENAGE APPEARANCE というのがこのツアーの名前でもある。 以前のTROPIC OF GRADUATIONツアーの延長線ある意味合いも考えれば告知デザインにこの名称が使われていることは、おかしくもない。 しかし尾崎は4回目のこのツアーにアルバムタイトルであるT…

アルバムを聞いてから

アルバムを聞いてからコンサートに来てもらえれば と尾崎は言ったことがある。 それは十代の尾崎がファンとマスコミに喧伝されているイメージとのことにも関係性があるようにも思える。 続けて言うと十代三部作を発表し終えて尾崎は3枚をこう回想している。…

小倉市民会館

1985年 12月12日 小倉市民会館 連続九州公演の最後は小倉市民会館であった。 また数日した後にこの福岡県でツアー最終日、福岡国際センターでのライブを尾崎は行うがそれは少し先の話になる。 前のツアーでは九州一円を短期間で鹿児島から熊本、長崎…

久留米市民会館

1985年 12月11日 久留米市民会館 久留米という地域は福岡県の南部である筑後平野に位置する。 一帯は福岡市からは40km程離れており、少し移動も困難だったのではないかと思われる。 以前は北海道でいくつかのコンサートをこなした尾崎は九州で連…

初めての地

今回のツアーでは何度も触れているが、初めて訪れる地域が多い。 それもこのLTAツアーは前回のTOGツアーの延長上にあるものであると考えたほうがいいかもしれない。 前回のTOGツアーも5月から8月までの期間ではあるが、初日の立川は都内であって…

大分文化会館

1985年 12月9日 大分文化会館 尾崎は九州にきていた。 7月にまわった回数と地域に比べればその規模は縮小されてはいるが、短期間で九州公演を行っていく。 少し尾崎にはこのツアーは過酷であったのだろうか、声が枯れたりするようなステージが少し目…