matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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六本木にて

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1985年 7月 六本木
 
ツアー再開まで少し日がある。その合間に六本木でCBSソニーの須藤氏と尾崎は今後の方針を決めるために話をした。
 
尾崎はまだツアーの途上にあるツアーは順調であると尾崎は話していたそうだが、まだ迷いや不安はあるという。須藤氏はこのツアーのステージをまだ見ていなかった。
均一的なツアーという生活の仲でも自分自身に苛酷である子とに安心したと伝えると、尾崎は笑った。
 
須藤氏が尾崎に話すべき用件はいくつかあった。
ひとつ目に3rdアルバムの件についてで現在のツアーバンドHeart of Klaxonを母体に作ることに決めた。
これは「回帰線」制作の頃にもあった話で尾崎の希望でもあったが事務所のマザーとしても許可することはできなかったようであるが、次のアルバムではということで裁可された。
 
しかしそれには充分なリハーサルと、レコーディングのスタジオ時間が必要不可欠であることを須藤氏は付け加えて、尾崎に話した。
そして発売日を尾崎のプライベートコントラストのひとつとして、11月28日十代最後の日に発表することを確認した。
 
大阪球場の8月25日のライブにむけてのリハーサルを皮切りに3rdの準備に入ることにした。
球場ライブもマルチレコーディングしたいと須藤氏が提案すると、尾崎はちょっと考えて賛同したがこれはリリースされるかどうかはわからないという前提のもと、あくまで記録用に、初のイベントをレコーディングすることが目的であったようだ。
 
秋には以前から準備されてきた自著も出版される。
尾崎は全部書き下ろす予定であると須藤氏に話したが中々進まないというのが現実であり十代最後の追い込みに尾崎 は突入している。
 
尾崎は十九歳の地図の上で、須藤氏は三十二歳の地図の上で互いに励まし合い、葛藤し物事へ没頭していくのである。