1985年 10月24日
スタジオでのリハーサルも行わなければならない。
フラフラになりながら、新曲の譜面をもってマネージャーのソラチを伴ってはいってきた。
三鷹でゲネプロを行う旨と今後のスケジュールを渡されるメンバーたちは、以前渡された来月からのツアーの表と繋げて見れば、尾崎はもといメンバーたちにも休みなどはほぼなかった。
続けられるレコーディングとリハーサルの連続で尾崎もメンバーもあの大阪球場からそろそろ二ヶ月が経とうとしているが、急速的に成長したと感じられるのは尾崎のボーカルであり、それはメンバーもスタッフも思っていたことであろう。
余談ながら尾崎は声を潰して、理想のしゃがれた声というものにもっとも近づいて納得のいった時期がこの頃であったと思う。
理想は事務所の先輩である世良公則氏をイメージしていたという話が残っているので、世良氏をイメージしたのではないかと推測する。
以前に勢いだけだったと少し辛口なことを書いたやつらに仕返しするんだという大舞台が来月中旬に控えた代々木体育館2Daysという暴挙に等しいステージに繰り出そうとしている彼らも指を折ればその日はすぐそこに迫ってきた。
代々木以降も尾崎は全国を廻る。
十代の活動を締め括る1年になろうとしていた。