matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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マザーの対応

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1986年 10月

マザーエンタープライスの社長福田氏は
提出された要望書を見て、ようやく行動を始めた。

これまでに尾崎を一刻も早く日本に帰国させてほしいという旨は何度も尾崎家からマザー側に話が来ていたが相手にせずに取り合わないというのが現状であった。

社長自らNYに行く事も稀であり、NYの尾崎を時たま見に行く役目はマネージャーのソラチ、そして事務所役員の佐藤庄平氏くらいものであったという。

マザーは翌年に設立を目指しているレコード会社に投資する資金繰りに合わせ所属事務所アーティストのツアーブッキングと大忙しであった。

抱えているアーティストは少なくとも年中を通して行われる大規模なツアーがあり東京に帰ってくるスタッフもまた珍しい。

9月にコンサートツアーが終わったばかりであるHOUND DOGの次期ツアーが12月からまた始まる。

ツアー序盤には日本武道館10DAYSの日程が1月26日から2月6日まで組まれておりその10日間のうちの間日である。
1月30日は同じくマザー所属のバンド、THE STREET SLIDERS初の武道館公演が予定されておりその前座をデビューしたばかりのRED WARRIORSが務めることにもなっている。
余談ながらこのHOUND DOGによる日本武道館公演10日は1982年に同じ10日間公演を行ったオフコースに並ぶ記録になり、後日譚として彼らは1990年に行った日本武道館15日公演により最多記録を更新し、この記録は現在も破られていない。
 
さらに余談ながらこの時の日本武道館公演10日分の席、10万枚のチケットは即座にソールドアウトしてしまい
日本武道館での追加公演を2月10日に設けファン感謝への意味を含めて事前抽選においてファンを無料招待
するライブを行った。
大友康平氏によると、その11日目は当然無料にしたことにより大赤字になったとのこと。

マザーは予定だけでは武道館だらけの日程であるが、尾崎はまだNYにいる。

事務所もソニーとの尾崎争奪で係争中ではあるが尾崎を再始動させる準備もこの頃から始まっていたのではないだろうか。