1986年 10月24日
以前から尾崎家で練られていた要望書が完成され24日付けで所属事務所であるマザーに提出された。
・尾崎豊の監督についての要望事項
という名前で作成されたこの要望書には以下のことが列記されている。
1、麻薬の絶対禁止を社長さんのちからで実行してもらう。
2、仲間と麻薬を常用している様子が伺われる。現実にSさんと電話で「アレはあるんだろうな」と鼻から吸い込む仕草をみせていた。それによって明日逢う事を約束していた。
3、顔色悪く、手の甲にヤケドあり。
4、
(1)本人も薬の使用を否定しない。
(2)麻薬によって人間的廃人になって行く事が恐れられる場合が心配で、アメリカ出張の原因が多いと思う
(3)一刻も早く豊かを日本に帰らせ、できるだけ早く忙しい日曜をもつように社長権力をもって監督して頂きたい。
福田様
昭和61年10月24日
というものである。
康氏によると2通作成し、1通を福田氏に渡したという。
文章の随所には尾崎の麻薬使用に関することがよく書かれている。
少し先の話であるが尾崎が覚醒剤の使用・所持で逮捕されるのは翌1987年12月22日であるが、使用の疑いがもたれるのは前年からであったが
確実にNYで覚えた麻薬の影響は尾崎を蝕み時折帰国して会う家族にも気づかれ始めていたということだ。
当の尾崎本人は麻薬で弱りきっている頃であった。