この事務所に所属していたアーティストがとても好きだ・・尾崎が最初のきっかけであったのだけど、ほかのドッグやスライダーズ、レッズなんかを聞くきっかけはこの事務所の所属であったからであろう。
自分は当時を生きた人間ではなく、過去の音楽としてなってしまっても興味がわいた。
なにより、この事務所が音楽界の吉本興業と揶揄されながらも圧倒的なコンサートツアーを重視していた戦略も目を見張る。
この事務所も最初から圧倒的な力があったわけではなく資本金は200万円とささやかではあった・・
1983年はある意味ターニングポイントか?
12月には尾崎豊をデビューさせている。
尾崎のライブデビューは翌年・・
1984年にはドッグのメンバーチェンジ、解散か?という騒動を切り抜け、尾崎はデビューライブからすぐさま全国ツアーであるが、8月に野音での骨折でその後のスケジュールがとぶ・・スライダーズは84年、2月に渡英し、5月からはツアーを行っている。
再びのポイントは1985年尾崎の「卒業」が脚光を浴びて2nd「回帰線」がオリコンで1位を獲得マザーで最初にヒットをとばしたのは尾崎かな?
尾崎は前年の12月からライブハウスを卒業したホールツアーを始めている。
スライダーズは85年、再び渡英して4枚目のアルバム「夢遊病」をレコーディング・・・・・たぶんマザー所属の人間で初の海外レコーディングをしたのはスライダーズであろう。
さてさて同年ドッグも尾崎を追いかけるように、西武球場公演を成功させて(尾崎の大阪球場公演の2週前)シングル「ff」(オリコン11位)、7thアルバム「Spirits!」がオリコンで2位を獲得・・・このアルバムだけでも50万枚を売り上げそれまで出してきたドッグのアルバム数に匹敵するほど、売れた。
尾崎も3thアルバム「壊れた扉から」のレコーディングと並行して、11月から「LTA TOUR」のリハと準備を進め、序盤に代々木体育館2DAYSを行って注目され、翌年1月まで活動したあとに疲労その他もろもろの事情で無期限活動休止宣言をする。
そんな激動期のみんなの歳は大友康平30歳(1985年の時点ではまだ29歳、早生まれ)
村越弘明27歳(同じく早生まれで26歳) 尾崎豊20歳であった。
86年以降はまた次に書くのでよろぴく