尾崎は早くも次のアルバム作りを開始している。
楽曲に関しては主にルイードでやった「十七歳の地図」に収録されなかった曲たち、そしてまだ作っている最中のものもある。
尾崎は言う
「学生だった自分をしめくくるようなものにしたいし、社会に出てみて給料もらってる自分が見たものを作りたい」
と率直に述べている。
余談ながら、給料制であった尾崎の給料であるが、簡単に言えば印税とは別の話であり、働いたぶんのお金であるが、定額制で給料を設定しておき、その度に支払うというものであった。
さらに余談ながら尾崎は理由があって後にこのプロダクションマザー・エンタープライズを去ることになるがその時の彼の最高額であった給料も一ヶ月百万円程度であったというがこの時期の尾崎の給料の額に関しては資料を探してもその額はなく、印税において、20万円程度手にしたという話が残っている程度であるが、あまり蓄えるようなことはしない性格であったという話もある。
余談が過ぎたが尾崎は言う。
「お金はほしいですよね、ある程度は、キレイごとは言いたくないし。ある程度あって自分の信念を曲げずにやっていきたいんです」