matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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ルイードから京都ビブレホールまで

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新宿ルイードでのデビューライブを終えると尾崎はすぐに日常へと戻っていく。
メンバーとの練習や取材と仕事をこなしながらも、着実に尾崎というものは音楽雑誌などに取り上げられていった。

余談ながら、この時の事務所マザーエンタープライズ、以下マザーという略称でよんでいくがこのマザーが行ったルイード時における尾崎の売り方、余計にチケットを取材陣などに渡していた関係で3月のルイードを見れなかった取材陣が多くいたが、これがマネジメントをする社長福田氏の狙いであり、今回見れなかった取材陣のことも踏まえたルイードでの追加公演を決定し、そのライブは84年の5月8日と9日に行われた。

尾崎も慣れた調子でこの2Daysを終えて、取材、及びファンの人間にまた姿を現した。

その同じ5月に尾崎は初の地方公演として京都に行っている。
ハイヤングKYOTOでの呼びかけに応じた学生による手作りコンサートに尾崎は招致され、コンサートを行った。

その時のステージでは天井にある配水管にぶら下がったりと後にあるいつもの調子で尾崎はステージをこなした。

少しのインターバルを経て尾崎は初の全国ツアーに出る。
それは次ぎの話になりそうだ。