matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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尾崎の風景

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NYから帰ってきた尾崎・・そんなある日、東海ラジオの番組「誰かのクラクション」の録音で名古屋にいた。
この日尾崎をよく取材する、音楽ライター藤沢映子氏も東海ラジオの番組「ロックンロール宣言」という番組の録音で尾崎と同じ場所にいた。
 
偶然そこで会って、一緒に東京へ帰ることにした。
当然尾崎にはマネージャーの空田満氏ことソラチも一緒だ、札幌で以前のマネージャー兼ローディーとして尾崎をルイードから支え続けたキヨシは自分のバンド活動を主としていた。
 
3人は名古屋駅の東京方面息のホームまできたとき、突如ソラチは
 
「尾崎、明日仕事ないよね、俺さ、このまま広島行っていいかな?、ちょっと気になってさ、今のうちに修復しておかないと」
 
余談ながら空田満氏は広島のイベンター社員であったがこの1年前福田氏がマザーに引き抜きスタッフとなるために上京したのである。
空田氏は尾崎と同い年の19歳、遠距離恋愛中であったが、広島と東京は遠く、ましてやマネージャー業に定休日と規定勤務時間のない生活であった。
年中24時間営業に近い生活を過ごし、会う時間はほとんどなく、それからもう1年が経っていた。
修復とはそのことであったが、事情を知っている尾崎は
 
「そうだよ、行ってこいよ、俺は東京へ帰るだけなんだから、もう仕事はここで終わり、
早く行けよ」
 
「ホントにいい?」
 
「もち、社長には内緒だろ?わかってる、わかってる」
藤沢氏と尾崎は反対側のホームへと行く、空田氏を笑顔で見送り、2人は東京行きの新幹線に乗った。
平日の夜の新幹線はけっこう空いていて、ほとんどが大阪、名古屋の日帰り出張のサラリーマンたちだ、10分もすれば彼らは寝る体勢にはいって車内は列車の音だけが響いていたが尾崎と藤沢氏は東京までの2時間しゃべりっぱなしであった。
 
尾崎にすればアルバムの「回帰線」が出たばかりで少し気分は高い状態であった、車内販売のコーヒーとアイスクリームを買い、2人はずっと話をしていた。
尾崎は昨年のルイード以前から、よく取材を行ってくれるこの女性と今の音楽業界での自分の立場のこと、ファンのことを話し合ったが、結論などは出ることがなかった。
 
「音楽っていったいなんだろう?」
そんな疑問を一つのテーマのように話しながら、尾崎は先日まで滞在していたNYの話になった。
尾崎は1ヶ月みた風景をどんな形で伝えればいいか、しきりと考えていたようだ。
 
そのとき尾崎は藤沢氏に「コヤニスカッツィ」という1本の映画を紹介した。
コヤニスカッツィ」と尾崎がここで紹介した映画は現在も米映画界で巨匠の名前をほしいままにしているフランシス・フォード・コッポラ監督が製作を担当した映画でナレーションや台詞は一切挿入されてないタイトルの「コヤニスカッツィ」とは、ホピの言葉で「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」(life of moral corruption and turmoil, life out of balance)の意である。
 
余談が過ぎたが、尾崎はこの映画をNYで買ってきた、コッポラが描くはるかな年月が地上で刻んだ荒野のちヒュの裂け目や赤茶けた岩、唐突にパイプラインや電線、ガスタンクにダムへと移っていく。
古ビルの爆発の瞬間、なんれるにも並ぶ戦車、投下されるミサイルなど、人間がただひたすら人類のために作った科学物質を人や自然との往来の中で延々と見せていく。
 
「この映像に新しいアルバムの曲を重ねてみると、合うんです。前のアルバムだと合わないのに」
と尾崎は言った。
 
少し後の話になるが、当時尾崎が住んでいた下北沢の部屋に藤沢氏が来宅された際に、この映像を見たそうだ。
その翌日藤沢氏は「コヤニスカッツィ」を買いに行った。
彼女に会いに走っていったSくんのこと、
人が冒した過ちを人として歌を通して償っていけないものかと
思っているにちがいない尾崎くんのこと、
自分の仕事のあり方のこと
いろんなことが交錯していた。