matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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シングルのことで

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1984年 12月
 
この年も暮れようとしていた頃、東京のCBSソニーのオフィスで仕事をしている、須藤晃氏に1本の電話があった。
電話をしてきたのは須藤氏が担当している、尾崎豊が所属するプロダクション、マザー・エンタープライズの社長福田氏からの電話であった。
 
尾崎は今骨折後に未定となっていたコンサートツアーの途上にあって、都内を離れて地方を旅しているところであった。
翌年に出す予定のシングルとアルバムの予定は話が進んでおり、特に2ndアルバムのレコーディングと製作は順調に進んでいたが、アルバムに先行して出すシングルのことに関してはまだ話がまとまっていなかった。
 
シングルに収録する曲の中での提案として福田氏は
 
「須藤さん、僕は「卒業」がいいと思う、この曲をシングルにしてほしいんだ」
これと同時に福田氏は今ツアーで演奏されている、新曲4曲「Bow!」「Scrambling Rpck`n`Roll」「卒業」「シェリー」
のライブ音源をテープに託し、須藤氏に送っていた。
 
「卒業」を聞いた須藤氏の衝撃は大きく、意見が一致して、「卒業」というタイトルでシングルを出すことになった、カップリングは「Scrambling Rock`n`Roll」となり、新曲を2曲収録した、シングルを出すことになった。
 
このシングルが少なくとも尾崎の名前を有名にするとは尾崎本人も誰もが思ってはいなかったであろう。