matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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卒業 シングル

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1985年1月21日シングル「卒業」発売
ジャケットで、尾崎の手に持っている石は、田島照久氏が駐車場で見つけたもの
 最高20位・売上7.4万枚。(12インチ)
 
尾崎の12インチシングルとして発売されたシングル「卒業」
十七歳の地図」発売以来尾崎としての新曲を発表したものであった。
 
尾崎はこの曲で有名になったといっていいであろう。
ジャケットを撮影した田島さんの回想に
「どこかの教育関係者が見つけでもしたら、騒ぎそうなジャケットをつくるためだった」
 
といい撮影はアトミックカフェで飛び降りた3ヶ月後頃にあった。
この曲で尾崎は世間に名が知れることになったが同時に尾崎=卒業、反抗というイメージもつきまとう結果になったであろう。
次第に尾崎も引き返せない所まで引きずり込まれてしまったことは言うまでもないだろう。
 
「卒業」というこの曲の詩を少し見てみると十代の屈折した心情をよく見ることが出来るが尾崎の言う大人たちというのは歌詞カードだけで自分を判断するというようなことも述べている。
 
しかしこの曲が投げかけているのは反逆ということではないと筆者は思う。
何度も話はされているかもしれないが尾崎が詩で書いている通りこの曲は尾崎の疑問が多く詩の中に出てくる曲であり、自分自身でさえ判断と答えを出しかねているという心情が伺える。
 
窓ガラスを割ったという詩と早く自由になりたかったという詩に注目されがちではいるが、最も尾崎がこの曲で主張していることは「卒業」という意味から発生する、新しく羽ばたけるかという疑問であり
 
「あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどり着けるだろう」
という詩はこの曲の真髄であるといって過言ではないだろう。
 
「卒業」というこの曲が演奏され始めたのは84年5月の新宿ルイードであるが、彼がそれからコンサートツアーで全国をまわり始めた頃コンサートでのテープがディレクターの須藤氏に届き、スタッフの間でもこれをシングルにしませんか?という話が持ち上がり、須藤氏曰く、
 
「この曲を歌うために音楽を始めたのではないかと思った」
 
と回想している。