matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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挨拶

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1985年 11月15日 代々木体育館

メンバーとの簡単な打ち上げを少し切り上げると尾崎は関係者用に用意された席に顔を出す。
今日のイベントの主役である尾崎のようやくの登場であった。

そこには写真家の田島氏、山内氏、インタビュアーの平山氏、藤沢氏、ディレクターの須藤氏、角川書店の見城氏などこれまでの1年と数ヶ月よく尾崎と仕事をしてきた人々が職種は違えど一同に会した。

この尾崎の登場の少し前に出来上がったばかりのアルバム「壊れた扉から」が関係者に配られ、至るところにもこのツアーのポスターとアルバムのジャケットポスターが貼られた会場となった。

尾崎は出席すると、スタッフから一言を頼まれて語り出す。

「なんか今日はとってもよく知ってる顔ぶればかり座っているので安心しました。僕の知らないこととか社会にはまだいっぱい思うし、みんながいろんな思いで暮らしていると思うのだけど、その中に僕も加わっていきたいと思うし、その中でみんなと一つ、一つの戦いの中のゲームを楽しんでいきたいし。」

「で、その中できっとゲームをしながらでも僕らはこの今の自由民主主義の中で暮らして、この日本という国の中でなにかひとつの真実、愛というものについて僕の仕事に関わってくれるすべての人にこんな今の暮らしを続ける、日本という国の中でそういった真実というものをマネジメントをしながら生み出して生きたい、僕が社会人になったその尾崎豊というもの第一歩の姿であると自分では思っています。」

「福田さんと僕がこの業界を変えていきます」

そう言うと周りからは笑い声が起こり、尾崎は挨拶を終えた。
それからも関係者と話をしたりと、大忙しだ多くのカメラが尾崎を追う。

話を終えると尾崎はその場を去って、メンバールームへと戻ると、またメンバーやローディーたちにビールをかけて、部屋を大いに汚す。
男たちは19歳とまだ20代を半分過ぎたほどの人間たちの集団であり、若者だけの世界であった。

関係者用の席ではまだ話が続く。
事務所の社長である、福田氏から今の尾崎についての状況やツアーの日程などを簡単に話し終えると、
来年の尾崎の予定はまったくの白紙の状態であることを告げ、福田氏の話は終った。