matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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1985年9月27日 スタジオ

福田氏は久しぶりにメンバーや尾崎たちと会い、レコーディングの話などをしている
そのレコーディングのことについて話を切り出す前に決まった3rdコンサートツアーの予定表を各メンバーに渡し、また今後このツアーで行う曲は3rdアルバムを中心とした構成として1曲目は福田氏の裁量に任せて、話を進めている。

3rdツアーの題名は LAST TEENAGE APPEARANCE
ツアー中に尾崎は20歳を迎えるというものであるが、その以降の公演は20歳の尾崎豊であり、同時に誕生日である、11月29日にもコンサートの場所が決まっていた。

そして福田氏は今抱えている尾崎たちの問題である、レコーディングについて切り出した。


「全曲、クラクションで録る予定だったけど、これではとても間に合わない。悪いけど、みんなは
ツアーのリハーサルを開始して欲しい。残りの曲は従来通りのやり方で、出来た曲を、順次、
みんなのところに持ち込んで、練習して貰うことになる。すべては、尾崎の曲の出来次第ってことで。すまない。」

こう言って気を落としたのは尾崎もハート・オブ・クラクションも一緒であったが、理由が理由であるので仕方なく従うほかなかった。

尾崎は毎日スタジオに入り浸る、日々がこれから続く。
彼らも9月が過ぎようとしている。

ツアー開始は11月、十代最後の日に発売するにはこの段階では遅い・・・
が、間に合わなくてはならない状況に尾崎はいる。

走り疲れている青年はまだ前に進まなくてはならず、立ち止まってなにかを考える余裕はなかった。