1987年 5月下旬
スタジオではまだレコーディングが続く。
この時点ではアルバムの完成を急ぐ前に予定していた7月1日には発売できそうにないことがスタッフの間でも危惧されていた。
尾崎を交えての話し合いではアルバムを出す前に1枚シングルを出そうという話が出た。
そのことに関して、尾崎は今の自分の混沌とした形を伝えようと「核」をカットして出すことを話した。
これにはスタッフはどう思ったのであろうか?
シングルカットするからにはこれからの尾崎のカラーを伝える最初の機会となる。
レコーディングが続くなかで生まれた「街路樹」こそシングルカットするような曲であり、長さからしても「核」はシングルカットには不向きな曲であったといえる。
余談ながらシングルとして出すからにはアルバムよりも安価でありまた新たな購買層を獲得するためにも
ファン向けではない
「一般向け?」
とでもいうような曲がカットされて先行して出されるのが業界の「フツウ」なのであろう。
しかし尾崎にはその「フツウ」というのはあまり関係がなかったようにも思う。
ファンが待ち望んでいる新曲はまだ謎のベールに包まれたままであったのだから。
新しい尾崎を伝えることはツアーが始まり、そこからこのシングル「核」でありその先に未知なる新アルバムが待ち構えることになった。
しかしこのアルバムはこの時期からまた1年以上も時間を要することになることを誰も知らない。