1987年 6月中旬
スタッフたちが思いつめていたアルバムの発売延期が決定したのはこの頃であったのではないか?
新曲は全部で5曲は揃ったがレコーディングが5曲とも済んでいるわけではなかった。
アルバムの発売日は7月1日から10月1日に変更されたが、仮のタイトルは「TREES LINING A STREET」という英題をもって決定してジャケットも作られていく。
レコーディングを一旦中断して尾崎はツアーのリハーサルを進めていく。
アルバムは出なくても決定しているツアーを今やめることはできない、既に50本は決まってしまっているステージをこなしていく合間に尾崎はまたレコーディングをしていく必要がある。
アルバムの発売前に先行して出されるシングル「核」の宣伝を強めていくことになるであろう。アルバムは出ないけど新しい尾崎をオーディエンスに見せていくことになる。
思うように新曲ができないからツアーに出るということはツアーの見切り発車のようにも見て取れるがこれには尾崎を知る関係者も賛否両論だったのではないだろうか?
これまでは原型のある曲を仕上げてレコーディングという形であった尾崎は白紙の状態から作品を作り上げることになってきていた。
再びステージに立って刺激を得ることも必要であったと考えてもいいが、再びステージに立つ尾崎にとっては少し多いコンサート本数が彼を追い詰めてしまったのかこのツアーは3ヵ月後には半ばで途切れてしまう。