誰かのクラクションという名称というかそのものは、尾崎にとっても身近なフレーズであったと思う。
‘そう誰かのクラクションが聞こえる‘
とも使われている通り、ラジオであったり、もしくは出版される初の著作物の題名であったりもした。
そんな中そのタイトルで作ったこの1曲、最終的にはアルバムの9番目最後を締める曲となる。
前にも書いたように初めてこの曲のデモを聞いた人々がこの曲を完成させようと詩を整理したりと大変な作業を経て、OKサインが出たので録音することになった。
「誰かのクラクション」というのは文字通り、誰かへ向けての警笛であることは間違いない。
この「誰かのクラクション」というものには尾崎が最初に作った曲である「街の風景」という曲があるが、その「街の風景」に出てきた風景というものが、たくさん出てきた共通しているものが老いと須藤晃氏は書いているが、歌詞にある通り、
‘街のどこかで‘
‘街の暮らし‘
というような詩が断片的に出ていることから伺えるように、愛を信じると言い放った尾崎が抱いた気持ちと街が尾崎へ打ち明けた真実とその違いの、軋轢がこの曲によく表れているのではないだろうかと、筆者は思う。