女性の話が出てくるのはダンスホールに並んでこの曲が挙げられるのではないだろうかと思う。
少年であった尾崎はいつしか一人称を「僕」から「俺」へと変貌し喪失感と哀愁が漂う。
夜の街で仕事えおして誰かの子供の妊娠したが、堕ろした自分の身の上話を打ち明けられる風景も良く見える。
米軍キャンプの跡地でこの女性と会ったことも詩で表されている。
筆者は青年になったとここで考えているがその尾崎がこの曲で描いていることは「命」というものを一つ考えているようにも感じる。
この女性の話を主軸に人の「命」とは「生きる」とはということを模索しているようにも思う。
‘こたえなんてあるかわからないにも関わらず必死に先の見えない雑木林を走る‘
ような、気持ちになっていたのが少年の尾崎のあるべき姿であったとするならば、
‘正しいこたえもない、探し物なんて、見つかるはずもない‘
そう割り切った、妥協や欺瞞だったりする一種尾崎の嫌うものがこの夜での放しに凝縮されこの曲に反映されているのではないかと推測する。