matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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兵員動員

またまた出てくる中学時代の先生ですが学校の野外学習というものが中2の時にあったのですけど山登りの際にこんな問題を出されました。


戦国時代は武力で領土拡大を図って天下統一、天下に号令するなどと言っていたが国を攻めるのにも京を目指して進軍するにも兵士が必要だ。

しかしどうやってその兵士を動員することが出来たのか?

答えは簡単で農民を徴兵することも可能、
実例
武田信玄上杉謙信など しかし米の田植え(春)と収穫時(秋)は基本的には戦争をしない。


金で牢人などを雇う。 臨時徴兵とでも言うのか
実例
戦国末期の豊臣家が大坂の陣の際に牢人十万余を雇い徳川方と戦った。

そして地方の有力大名がどこでもやっていたのが同じ地方の有力豪族、地侍との連携、抱え込み。
実例
織田家中時代の豊臣秀吉は信長の美濃攻略の為に美濃、尾張 国境近くの有力な地侍川並衆の蜂須賀正勝
前野長康などと協力して美濃攻略の兵站基地 墨俣城(砦)を完成させた。世に言う 墨俣一夜城。


そして領地、知行地をすでにもっている直臣、または陪臣の場合は?

この問いには答えられなかった。
すでに臣下つまり仕えているならば家臣などもいるが家臣は戦闘指揮官であり助言をするもの一士卒ではない...............

教師の答えは
まず基本的に知行地があるものは少なくとも百人以上は動員しなきゃ斥候もできないし偵察もできない。
偵察中に敵の物見、小部隊と戦闘になったらわからない。

基本は一万石で最大三百人動員できる。
つまり北陸地帯を最終的に百万石を領した前田家には最大三万人が動員できる。

もし前田利家が生存中に関ヶ原の戦いが起こったら少なくとも三万以下 一万五千以上の士卒が蹂躙したことであろうと教師は言っていた。