matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

雨の一日であった 朝までふるとか

始まり

1989年 1月 年が明けた。 まだマザーとの契約が残っており尾崎は別の事務所で活動することはできない 専属契約であるため、契約違反として立場を危うくするのは移籍交渉中のため良からぬことは避けたかった。 尾崎はひたすら創作に明け暮れた。 後に充電期間…

Slider Joint

1983年 3月5日 発売 The Street Sliders 1stアルバム Slider Joint スライダーズの記念すべき1stアルバム・・Slider Joint 結成は1980年高校時代からの友人であるハリーとジェームスがロック喫茶なんかをめぐって公平、ズズ(2人は幼馴染)を誘って結成したバ…

子供が生まれる

1988年 12月下旬 尾崎家に子供が生まれる。 23歳になったばかりの豊と20歳そこそこの繁美・・・ 2人が夫婦になって数ヶ月でのことであったが気がかりなことは豊が覚醒剤を過去に使用していること 自殺未遂を犯した際に服用した睡眠剤のことを考えると元気な…

外で

1988年 12月 尾崎は外で待っていた。 繁美は医者に言われた。 「おめでとうございます、今2ヶ月の終わりです、予定日は8月2日・・後のことは看護士さんに聞いてください」 そう告げられた。 外へ出ると尾崎へ妊娠したことを告げる。 「できてた」 と言うと …

もしや

1988年 12月 高山から帰ってきた直後に繁美は薬局へ妊娠判定剤を買いにいった。 この頃生理がきていなかったもっとも結婚してからは気にしていなかったというが子供ができないことから不妊症では?という思いもあったという。 その翌朝検査をしてみると陽性…

LIFE

かなり前1ヶ月くらい前にベンスティラーのLIFEをみた 監督、主演、製作を彼がやっている 笑いありの娯楽作品だね 映画ってこうじゃなくちゃいけないよ 芸術みたいなものではないしね そうあとから思う映画やったよ

危うさ

1988年 12月 ライヴでの危うさ それはツアーを追うごとに過激になっていく。 十代のステージでは特にエネルギーに満ちたステージングが過激なパフォーマンスへと連なったのか荒れたものが多い。 それはステージに立つ前の尾崎からすれば豹変に近いものであっ…

1988年 12月 尾崎は太りやすい体質だった・・ 各年代の写真を見ても顔つきからして違うものが多い87年のものは肉つきがあってちょいとごつい・・ かっこいい服は金さえ出せばすぐの場で変えるが服を変えるだけで本当に人は変わるのだろうか そんな考えが尾崎…

キヨシ!

尾崎の初期のローディーをやっていたキヨシこと小川清史氏が今日で50歳になった RED WARRIORSのベーシストとして有名であるが彼はそんなレッズのなかでも一番年下レッズに参加したときは今の俺と一緒で21歳だった キヨシ27歳、レッズを1日だけ再結成させて武…

4/25

22年らしい 俺も21になった まだまだ君の世界は人を魅了しているようだ それはメディアのおかげか噂や憶測のせいのなのか あらゆることが関係しているけど結局のところもう君がいないことがすべてなんだろう もっともっと速くといったものさ しかし俺が当時…

スライダーズ

スライダーズ The Street Slidersがすき ビートチャイルドに出ていたし知ってる人もいる? ずっと聞いてみたいと思っていたけど、2000年の解散以後オリジナルアルバムはほとんど廃盤で入手こんなんが続いた。 何度かボックスで出ていたのだけど、それも入手…

私服

85年の写真 この柄のはいった上着は武道館でも着ていたかな たぶん私服なんだろうね ツアーで着ていた革のジャケットも2着買ったのだったよね

1988年 12月 夢とか将来とかなんだろうかと考えてみる 子供は身近に触れるものに興味を示したりするのかもしれない。 尾崎は父健一氏が短歌をよく作る人であり叔父は小説家であった。 子供の頃豊は物書きになりたいと言ったことがあったとか・・ しかし音楽…

家族

親父は働いている俺も働いている 妹は今月19歳を迎えた高校を卒業し音響の専門学校に進学した亡くなったおかんがその昔照明の仕事をしていたことを考えるとこれはもう血なのかもしれない 今ではライブハウス通いの女となってしまった そんなに変わってないの…

余話

1988年 12月 余話として・・尾崎家、康氏豊両名の兄弟には腹違いで別にもう1人兄がいる。 健一氏は絹江氏と再婚しこの2人が生まれた。 この事実を健一氏は隠していたわけではなかったが2人には長い間言っていなかった。 しかしあるきっかけで次男豊に露見し…

歪み

1988年 12月 この頃の尾崎はなにをしていたのだろうとふと考えを膨らませてみる。 資料が乏しく89年に至ってはまったく活動をしなかったものなので・・ この88年の大磯、そして高山への旅行と帰郷は父健一氏の言葉を借りれば戦士の休息であったようだ・・ 88…

高山産

1988年 11月 これまで高山という尾崎の両親の故郷のことを書いてきた 親の里帰りに付き合う尾崎もまたこの里を愛していたのであろう。 列車でいっても時間がかかる、尾崎は1人で高山を訪れたこともあった・・ 結婚するまで本籍は高山であったし山や川自然豊…

小雪

1988年 11月30日 小雪が降っていた 健一氏は10時に起きるとジャニスを連れて山道を散歩した。 11時に退去・・そのまま豊夫婦をホテルに向かえにいき、日赤前でうどんをたべ帰路についた・・ 運転は中央道諏訪湖までは健一氏が・・あとは豊がした・・ 19時・…

かけつけて

1988年 11月29日 この日、豊の妻である繁美氏がJRで東京からかけつけてきた。 大いに盛り上がると持ってきたギターを帰省以来初めて弾き唄ったという。 また宿泊先も豊夫婦は別にホテルへとうつっていった・・ とうとう旅の終わりが近づいている。

木刀

1988年 11月29日 この日は豊23歳の誕生日・・ 健一氏の姉の家にいた・・ファンの女の子2人が来訪して大いに語り合ったという。 尾崎は自動車のトランクに木刀を持ってきていたので、暇さえあれば山道に出て素振りを試みていたという。 余談ながら尾崎は剣道…

餃子と尾崎

餃子すき 飽きないつまみだ どーでもいいことかもしれないが餃子を食いながらふと尾崎のことを思い出す 尾崎は母絹枝さんが作る餃子が好きだった うろ覚えだが絹枝さんが作る鳥の唐揚げも好きだったのだっけ 尾崎は仕事柄十代以降外食も多くあったろう 余談…

一週間に十日来い

尾崎板でみたマザーが半年くらいやってたとかいう番組 一週間に十日来い そんな番組やってたのかしらんかった・・

おい

若いのになんだか最近活気がないのか疲れているのか ほえー

ジャニス

1988年 11月28日 高山 ジャニスという尾崎家の愛犬がいる。 この写真は寒さで外に嫌がるのを無理やり連れ出して散歩したという1枚 散歩をしたのは叔父宅のまわりであったとか・・ 撮影は健一氏であろうか・・ ジャニスという名前はジャニス・ジョプリンとい…

1988年 11月28日 高山 夜半まで起きていた健一氏はいつもより遅く午前10時すぎに起きた。 ジャニスを連れて市内を散歩したのちに息子豊を起こしたのは12時ごろであったという。 この日は絹江氏の実家の墓参りそして健一氏の本家を訪問したという。 兄嫁をは…

高山

1988年 11月28日 高山 長い長い恵那トンネルをぬけると中津川インターである。 ここで中央道を降りると中津川道路を下呂のほうにむかって走る。 片道一車線の淋しい道をひたすら走る・・ 23時辺りに下呂の灯かりを見ることが出来たという。 下呂の温泉街で深…

高山へ

1988年 11月27日 その日の夕食を3人でとったあと、19時・・朝霞を出発 中央高速にのり、甲府、諏訪と経由し高山を目指す。 車内では試作曲とかいうものを家族にガンガン聞かせたが感想を聞かれた健一氏は応えようもなかったというがそこは絹江氏がフォローし…

殺到

1988年11月27日 朝霞 その日は日曜日であった 尾崎の誕生日が近いこともあってか朝霞の自宅前の広場にファン約50名が押しかけてきたという。 この頃に高山への旅行を計画していた健一氏は愛犬ジャニスをどうするかで計画が難航していたが共に高山の親戚宅に…

岡村ちゃん 将来の夢 Zeep Nagoya

Zeep Nagoya 岡村靖幸 将来の夢 というやつにいってきたよ 熱気があるね熱かった 詳しくはまた後日