matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

獄中

1988年 1月 ノートには詩が書かれていく。 NYでは詩が書けずに鬱屈した日々を過ごした。 日本へ帰ってきてから始まったレコーディングも難航し、この逮捕劇によって目処も立たなくなっていたが幸か不幸か彼の作品つくりはまた始められていた。

塀の中

1988年 1月 塀の中で尾崎は、ノートをもらって日々のことを書き綴っていた。 俗に獄中ノートとよばれるものである。 彼には思いを吐き出す物が必要であったのだろう。 日常から出される詩が詞になる昇華法というものが彼には存在していたのであろうし。…

かったるす

久しぶりに仕事にいくと かったるいったらありゃしない

尾崎豊の軌跡を追う 2年

尾崎くんの音楽との付き合いは生まれてこの方ちょいと長いほうであるけど、ここまでみっちりとお付き合いをするのはこの2年が初めてなんだろうね。 熱というものがあって、とり憑かれたような時期があったけそそれはもう過ぎ去ってしまったのだと長いこと思…

ラジオ

1988年 1月 尾崎逮捕の報道が続いて最中、尾崎の所属事務所マザーの社長福田信氏は尾崎を長年取材してきた音楽ライター藤沢映子氏のラジオ番組に出演してファンにこうよびかけた。 「尾崎のことを嫌いになっても全然かまわないけど、君たちが尾崎豊を聴…

ファンの混乱

1988年 1月 尾崎逮捕の報道にたいして混乱をしたのはファンであった。 昨年のツアーで寝転ぶ尾崎を見ていた人は、やっぱり・・と思った方もいたようであるが、戸惑いを隠せない人が多くいたような当時の状況を少し伺える。 そしてその尾崎は埼玉県、戸…

なぜ

1988年 1月 尾崎逮捕後、所属事務所マザーから尾崎家に今後の方針を決める会議を行う旨が伝えられた。 会議は都内のホテルで行われた。 社長の福田氏はなぜ通報前に事務所に相談してくれなかったのかと? 家族に話したという。

嗚咽

1988年 1月 父母は康氏の家で目覚めると 新聞の大きな一面に ロックの尾崎豊 覚醒剤所持で逮捕 という記事が載った。 母絹枝氏は新聞記事を見ると、ぅぅと嗚咽して泣いたという。 家族に恵まれ、育まれた尾崎家の次男その過程のなかで生まれた現実を受け止め…

1988年 1月 尾崎逮捕の報道を家族は実家で見たという。 兄の康氏は両親を連れて今住んでいる千葉の家に向かった。 実家にマスコミが押しかけると思ったからであった。 事実その通りになったという。 報道番組は容赦なく現実を告げる。 あの日の日々が思…

秘密裏

1988年 1月 前年の12月22日に逮捕された尾崎。 尾崎の逮捕・・・ このことは母絹江氏の懇願によって警察も検察も手続きは秘密裏に進めてくれといったがそれは甘かった。 年が明けた1月8日夕方のニュース番組の速報で尾崎が逮捕されていたことが一…

対処法

1987年 12月 尾崎は家族の通報で囚われの身となった。 この対処方法が正しいのかかどうかという以前に10月から説得と監視を続けてもこの結果であったということ。 康氏は ‘日本で公的機関に頼らずドラッグの魔境から本人を救い出す方法はない。ドラ…

わお

台風のせいか大雨の1日やった 10月だから寒くなってきたけど、余計帰りは寒いよw 内勤であるだけましやな

22日の朝

1987年 12月22日 長時間トイレに入っていた豊。 これに気づいた父、健一氏が豊がトイレから出た直後にトイレにはいっていみるとドラッグをいれたパッケージが流されずに浮かんでいた。 中には少量の粉末が残っていた。 健一氏はいつもと同じように出…

捜索

1987年 12月 家族は所持しているであろうドラッグの捜索を始めた。 しかしいっこうに見つからない。 寝ているうちに上着などをさがしても見つからなかったという。 証拠を見つけ出して取り上げることが家族の目標となった。

暑い

昨日とても暑かったというのに一転とても暑い 暑い

ぉぉぉぉ

久しぶりに連休なんだけど けっこうな大雨なんだよね 外に出たいけど、寒いし なんだかなー 用事は明日でもいいか・・・ また台風がきてるみたいだね いやだなー

通報・・

1987年 12月 警察へ引き渡せばどうなるのだろうか? 豊はなにもかも失うだろう、社会的に二度と立ち直れなくなるかもしれない。 それでも、狂うのを放置することはできない。 そういった家族の決意がドラッグという証拠を見つけ出して警察へ豊を引き渡…

諦め

1987年 12月 家族3人は自力更生が無理だということをこの時期にようやく悟ったという。 ドラッグを見つけ出してそれを証拠として警察に通報しようという考えにようやく至った達した。 これに関しては家族の中でも意見が割れたようだ。 なにより母絹江…

家族の前で

1987年 12月 家族ともしゃべらなくなった尾崎。 幻覚と幻聴ドラッグの影響を家族も目の当たりにしたという。 父母、兄に恵まれて育った彼が家族には見えないものを目で追って聞こえない音や声に反応して存在しないものに語りかけている。 呼びかけても…

幻覚、幻聴

1987年 11月 ドラッグの影響が表面化してきた。 幻覚、幻聴・・・ 見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。 ほとんどしゃべらなくなった尾崎が言葉を発するとき、それは見えないものに対する言葉であったのかもしれない。

休みや

休み 日差しは強く暑い しかし風は冷たい。 ジャージで過ごす時期になってきたかな

追う

1987年 11月 尾崎はクスリを使っている。 しかし証拠が見つからずにいた。 家族の監視にも限界がある、父が兄が交代でできる限り尾崎への説得と監視を続けた。 しかし以前からも書いている通り、尾崎はその監視をかいくぐって、家を出てはまた舞い戻っ…

LTA

1987年 11月 さて尾崎の作品の話を狭間にいれておく。 4枚目のアルバム発売を無期延期としたためか、かつてのレコード会社である、ソニーから十代のときに行った代々木公演のライブアルバムが出た。 LTAである。 この作品のコピーに「君の十代は完…

台風

なんか強い台風が日本ツアーをやっているとか 自然は厳しいのう

家族の決断

1987年 11月 ずっと家にいることがない尾崎。 たまに家を出てはどこかへ行方をくらましてしまう。 しかし1日から数日を経るとまた家へ舞い戻ってくるが家族との間に会話はない。 尾崎の状態は日を追うごとに悪くなっていく・・・さらにドラッグに汚染…

祭日だったようだ

世間は休みだったようだ なんか感覚がずれてくるねw この仕事のあかんところはやはり世間とのずれか

わお

お休みだす さてあと半日どうしようね

ひとつき

1987年 11月 実家にできるだけとまり監視と説得にあたったのは兄の康氏。 彼は六法全書を開いて「麻薬取締法」について麻薬は禁じられている・・ という件を尾崎に説いて聞かせた。 すると尾崎は口を開き 「俺は許されているんだ」 とこのクスリの件で…

更正への望み

1987年 10月 自らの意思でクスリを断ち、更正してほしかったのが家族の望みであったろうか、確実に尾崎は麻薬に侵されていた。 しかし、確たる証拠を見つけられずにいた。 話しかけても言葉を返すことは少なかったようであるが、クスリを使用している症…

おっほい

仕事の毎日やな まったく