matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

NYの尾崎

1986年 9月 9月になった頃尾崎の暮らしているNYのホテルにはCBSソニーの役員が訪ねてきていた。 契約更新のことを話し合うためであったが、尾崎は彼らが訪ねてくることすら忘れていた。 役員たちは 「痩せた」 という話を須藤氏から聞いていたが、役員…

3月も終わりー

3月も終わりー もうすぐ4月なのよー 社畜まで秒読み もうどうにでもな~れ

ソニーの提案

1986年 8月 CBSソニーはこの事務所との争いに関して黙っていたわけではない。 ソニーは尾崎豊の事務所を尾崎家で設立してはどうか? という提案をした。 そのための援助をソニーはすると話したという。 しかし父母には音楽業界の知識などはなく何もわか…

先手

1986年 8月 尾崎家へもレコード会社移籍という話の影響は出ていた。 マザーはソニーからどんな損害賠償などの請求があってもマザーのほうで支払うという一札も逸早く入れれている。 以前にも述べたマザーの押しの強さというものはこの辺りの行動からで…

やあ

区役所で人混みに久々にもまれる 平日しかやってないから仕方ないのだけど きついなー

どちらにするか

1986年 8月 ダウンタウンでの生活が続く中レコード会社との契約更新についての葉なしが表面化してきた。 今まで一緒に遣ってきたCBSソニーとの契約を更新するか事務所マザーが新設する事務所に移籍をするか? 移籍をしてしまえば、当然これまでやっ…

NO ONE IS TO BLAME

1986年 8月 NYに戻れば以前と同じ生活が続く。 眠れない夜が続くがNYの夏は暑く、エアコンが聞かないこの部屋では寝れない日が続くことが少しはまともな証拠なのかもしれないと考える時もあった。 ラジオからは毎晩12時になると流れてくるのがハ…

8月の帰国

1986年 8月 突然の帰国であったが、尾崎はいつものように朝霞の実家へと帰った。 NYでの暮らしぶりや今度はNYでレコーディングをするかも という話をしていたが以前より増して頬はこけてまともな生活を送っているのかどうかが両親としては心配であ…

NYからの手紙

1986年 8月 季節は夏の盛りを迎え8月になっていた。 突然であるが、NYから帰ったばかりである須藤氏がまた登場する。 彼はこの8月6日が誕生日であり、尾崎は誕生日に辺りNYから須藤氏へむけて手紙を書いている。 Dear my greatest director,Mr.A…

LIVE CORE 完全版

先週から卒業式やらなんやら酒のみラッシュが続いてたんで、やっと書くよー LIVE CORE at BIG-EGG1988 87年のツアー中断後に逮捕、出所と88年は始まってからこのドーム公演までライブはないのだけど私生活では結婚もあったりと怒濤のように尾崎の時間は…

チキン

昨日食ったチキンでっせ そいや今日はおとんの47歳の誕生日なんよ

ほう

このブログ尾崎のことばっかりで最近生活感がないねーみたいな声を外部からうけたので なんか書くことにする。 たぶん見てる人は尾崎関連しかいないだろうし、いいやそれでいいのだよね だって最近その手の話しか書いてないわけだし 俺の日常なんて書いても…

1986年 8月 8月になった。 須藤氏は日本へ帰国しまたNYでの生活が始まった。 ここからの話は一部的にも決定的な証言や証拠に欠けるために想像に任せるところが多い事を了承していただきたい。 尾崎は少なくともこのNYという街でドラッグを覚え、後…

6 PIECES OF STORY

1986年7月21日 6 PIECES OF STORY という尾崎の十代の作品6曲を用いたPV集がVHS、8ミリビデオ、ベータマックス、LDの4規格で発売された。 今日ではDVD規格として見ることのできるものである。 収録曲は 1.十七歳の地図 2.卒業 3.DRIVING ALL NIGHT …

ここに要塞を築こう

昨日の卒業パーティーの様子 立食バイキングときいて、肉の拠点を築いて、ビールをしこたま運び込む作業でしたわ 肉はマジでうまかったっすわ ご飯がないのがいけなかったかもしれませんがねw

2人の別れ

1986年 7月下旬 先日行われた須藤氏による尾崎豊を励ます会は終ったが尾崎は依然として歌うべきもをまださがしていた。 また彼に会いにきていた須藤氏の帰国も目前に迫っていた。 2人は時間の許す限り一緒に過ごしたが、時間は止れず、戻ることもでき…

卒業ぅぅぅ

今日で専門を卒業ー 来月から社会人ー 泣いたりはしないのだけど、これも新しい節目にまたむかこうことになるね。 20歳になって酒も解禁と毎日酒びたりですーー ‘酒びたりの中年たち~‘ といわれてもお酒がおいしいのであかんっすわwww

J.BOY

1986年 7月下旬 NY 浜田氏と須藤氏の関係は浜田氏が「愛奴」というバンドで活動していた頃から始まっている。 「愛奴」は1972年に結成、74年には広島フォーク村の先輩である吉田拓郎氏のバックバンドとして1年間彼の全国ツアーに参加している…

5人

1986年 7月下旬 NY ホテルキタノ白梅 「会いたい人っていったい誰なんですか?」 という尾崎の問いに須藤氏はすぐにわかるよと言って待ち合わせた部屋の障子を開けて入ると須藤氏は 「待たせてごめん」 と挨拶をすると部屋からは 「お、来たね久しぶ…

飲み会から

飲み会から帰りました けっこうお酒を飲んでも潰れないものですね お腹が出る前にセーブするのも大切なんだろうけどまったり楽しんでいきましょう そいえば最近このアホブログも読んでくれている人がまた増えてきてくれたみたいでありがとうございます。 な…

まだムリ

1986年 7月下旬 「まだレコーディングはムリですよー」 と言う尾崎を須藤氏はホテルから連れ出し、2人でタクシーに乗ると目的地の紙を運転手に渡して車は発進する。 レコーディングは年内には始めれば という希望のもと話をしたばかりであったが尾崎は…

ブログをやっていると

ブログを始めてもうすぐで5年になる 始めた頃から付き合いのある人は少なくなった、というか数えるほどしかない。 なにより始めてからより多くの人と付き合うようになったのは事実なのだけどね。 しかしこのネットの世界って中々不条理というのかおかしいと…

今後のこと

1986年 7月下旬 須藤氏の帰国が近づいた頃に、尾崎は2人で仕事のことについて話し合った。 これからいったい何を歌っていけばいいのか? 逃げるようにNYにきて、もうすぐ2ヶ月近くの時間が過ぎようとしているが尾崎は十代というものを終えてから二…

時間は過ぎて

1986年 7月下旬 須藤氏が日本へ帰る時期が近づいていた。 NYにいる時間のそのほとんどを彼は尾崎と一緒に過ごした。 自分がNYでの生活をしていた過去を明かしながらもこの街に迷い込むようにして生活している尾崎をなんとか元気付けようと刺激を与えよ…

食事へ

1986年 7月中旬 日本食が恋しくなってきたというのがNYで少し暮らしている須藤氏と尾崎の問題であった。 ニューヨークのホテルキタノにある『白梅』という日本料理店で食事をしようということになり、尾崎と須藤氏はここでよく食事をした。 熱燗とウ…

さがすもの

1986年 7月中旬 歌うべきものをさがすために尾崎はNYにきていた。 しかしそのNYという街の中で彼が見たのは街にいるたくさんの人種から生まれる、怒りや哀しみ喜びなどであったという。 しかし尾崎はその中にある‘優しさ‘というものを歌っていけれ…

ビール

解禁というわな お酒おいしいよ

須藤氏の話

1986年 7月中旬 余談であるがNYと須藤氏とのかかわりについて記しておきたい。 須藤氏は22歳の頃NYのソーホで大工をしたりしていた。 ギャラリーの改装工事の手伝いをしていたともいう。 大学でアメリカ詩を専攻していた。 須藤氏は単身渡米し、NYにたど…

20歳になった

ああー20歳になったよ 早いものだね本当に 20年ってこんなものなのねー このブログと俺をこれからもみんなよろしくねー

ロブスター

1986年 7月中旬 映画を見終えてから食事をしようと2人はなにかいい店はないかと街を歩いて店をさがしていた。 手頃な店を見つけて2人はレストランでロブスターを注文した。 しかし‘あの映画‘を見たあとに食べるものではない と、須藤氏は当時のことを…