matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

Yahoo!ブログからお引越し完了です。matagorou もしくは17isamuです。よろしくお願いします。

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

連絡事項

このブログを見ている方で私の携帯電話のメールアドレスへメールが届かない方へ もし送信できない方がいましたら、お手数ですが 「17isamu@gmail.com」 まで連絡いただけると幸いです。 メールアドレス自体は変わっておりませんがこちらも確認を行います。 …

9月も終わりや

10月くるなおい

余談

1990年 6月 以前にも述べたが尾崎はこの時期R&Sという事務所に所属している。 初めてマザーから別の事務所に変わったわけであるがこれまでの尾崎の楽曲の版権はマザーが所持している。 (厳密にいえばマザーの管理会社グランドマザー・ミュージックビジョン…

あっちー

今日こそ暑い日やったでまったく

願い

1990年 6月 レコーディングが佳境にはいってきた。 行程では大まかに夏までには録音を終えてそこからはトラックダウンまでの作業完成後にはツアーがある。 この頃からR&S主導による新アルバム「誕生」・・のコンサートツアーを企画していることろで尾崎豊復…

エレファントカシマシ CONCERT TOUR 2014 2014.9月28日(日) Zepp Nagoya 18:00 開演

でありました エレファントカシマシ CONCERT TOUR 2014 2014.9月28日(日) Zepp Nagoya 18:00 開演 1.good-bye-mama 2.この世は最高! 3.地元のダンナ 4.悲しみの果て 5.甘い夢さえ 6.デーデ 7.パワー・イン・ザ・ワールド 8.我が祈り 9.クレッシェンド・デミ…

分身

1990年 6月 アルバムタイトルは「誕生」というものである 「誕生」そして「永遠の胸」という2曲がアルバムの中核をなしていおり、ダブルアルバム2枚組みとして売り出す大きな要素であった。 沈黙を破り彼の作ってきた曲には生活者としてのものが多いが隠れ…

まるで宗教

1990年 6月 以前の活動の中で彼は「教祖」という括りで表記されることが多かった。 それはライブでのパフォーマンスがそうさせたものもあったが、彼の売り方やメディアへの対応、楽曲もその「教祖」ということに拍車をかけることであったのであろう。 尾崎自…

若いね

岡村ちゃんが若い~ このとき俺と一緒くらい21?、22になってるかな

先日

仕事をしていると友人に会う機会は少ない 連絡を取り合っているやつもあまりいないのだけど先日久々に高校のときの同級生と卒業以来再会して酒をのんだ 彼は近所にいるのだけど時間というものは流れても話は弾むもので懐かしくもあった いいものであったよ。

水没

名古屋駅水没したみたいでびっくりした 昨夜はたくさん雨が降ったけどあそこまでとはね

一歩前へ

1990年 6月 レコーディングは再び始まる。 スタジオに尾崎がいつもくる時間は遅れることが多かった。 これにはスタッフも閉口するばかりであるが、たまに手に傷を負っていたりとデタラメな私生活が伺えることもしばしば続いていたようである。

HARRY THE BEST

HARRYの新譜ベストアルバムになるそうでソロになって14年発のベストなんやけど選曲はハリーがやったみたいやね ソロ作品は初期から今にかけてみてみるとレーベルや参加してるプレイヤーがバラバラだったりとしたけどそれを踏まえて収録される曲はジェームス…

芸創ホール

芸創ホールいてきたよ

久々

久々にビールやった

お酒の席

1990年 6月 酒の席にはただ音楽に精通する者同士という空気が流れて非常に良い雰囲気であったという。 尾崎はそんな席でもこのアルバムに臨む思いをスタッフに熱弁したともいう。 彼なりの必死ですべてをこの作品にかけていると。 1枚のアルバム、レコードを…

コミュニケーション

1990 6月 1日のレコーディングが終わると須藤氏は尾崎を飲みに誘った。 もちろん、ほかのスタッフやミュージシャンも一緒に。 一緒のバンドでもなければ初めて音を出す人々でもある、尾崎がどんな音楽を聞いてきたかなにに興味があるのかそんなことを引き出…

9/24

なにがあるんやろな

おり

今日は天気がいい しかし涼しいな 衣替えなんてやらなきゃね みんなはもうやったかな?

反響しとるから

なぜか減量記事に反響があるな とりあえずビールは永らく飲んでないかな 焼酎に切り替え~ 米はそこまで食わんのやけどね なんかしたらいいことあるのかほかに

神経内科

1990年 6月 レコーディングというのは尾崎もスタッフも神経をすり減らす作業だ。 空いた時間に尾崎はスタジオ近くの神経内科によく通ってはそこから出る処方箋が欠かせなくなっていた。 日々のストレスから薬の量も増えていく毎日であった。

減量

減量するか

この人も

1990年 6月 錯乱する尾崎それをなだめるのは彼とは長い付き合いのある須藤氏であったがそれも功をなすことは少なかったという。 尾崎をR&Sに紹介したのは須藤氏で彼の面子というものもある意味丸つぶれであったのではないだろうか? R&Sもとんでもない爆弾…

事務所スタッフたち

1990年 6月 レコーディングには多くの事務所スタッフつまりR&Sのスタッフも参加していた。 尾崎という人間については業界人ということもあり少しは予備知識があったのかもしれないが彼らはたまに錯乱する尾崎の対応におわれた。 終いには 「おまえらどうせ…

うお

ふう 疲れるぜ

いいやつ

こってりしたやつ

やつあたり

1990年 6月 仕事のストレスは体調不良からもくる、録音の段階で声が出なければ尾崎のイライラはつのるばかりであった。 処方薬で体調を立て直しても疲れきった体から出る声は疲れている。 スタッフは尾崎を気遣いつつも、その気遣いこそも尾崎にはストレスで…

晴れ

休みの日って晴れてないことが多いのだけど 今日は晴れみたい

KISSと尾崎

1990年 6月 KISSという曲は「仕事」というよりは社会に出てから起こりうることがよく歌われている。 尾崎は後に個人事務所「アイソトープ」を設立してから、たぶんそれまではあまり着てこなかったであろうスーツを着て、出社してはほかの従業員と同じように…

処方箋

1990年 6月 レコーディングと並行して行われる尾崎の仕事には執筆活動が加わっていた。 この多忙さは十代最後のアルバムにもなった「壊れた扉から」を作っているときにも酷似している。 久々の仕事の連続に体がついていけていないといってもよかった。 その…