matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

1985年 4月~5月 まとめ Tropic of Graduation

Tropic of Graduation TOUR ツアーが始まろうとしている。Tropic of Graduation 全国40公演を3ヶ月で行う。 最終日にはツアーのお祭りとして大阪球場ワンマンライブを行うことが初日に発表される。 Tropic of Graduation TOURについて エッグマンで彼は別…

開演前

1987年 7月1日 茨城県民文化センター 開演の時間が迫ってきた。 10分前でも陽気な空気が漂っていたが、メンバーが先に楽屋を出てステージのほうへとスタッフ達に先導されていく。 尾崎は自分の楽屋に戻るとステージ用のシャツとジーンズに着替えると…

楽屋

1987年 7月1日 茨城県民文化センター 18時に会館入口が開場される。 長い行列は少しずつ進んでいく、その数2000人。 1人、ひとりがこの日を待ち望んでいた。 新しい彼を見るために その行列の観衆には後に尾崎と親交を結ぶ俳優の吉岡秀隆氏の姿…

餃子とビール

夜勤なうー というかこの記事を書いてるとき仕事中なんだけどまあええよ この夜勤ってのはやることがなくてたまらん 仕事を見つけるよりも暇潰しを考えるほうが得策 だから記事を書くことにした。 夜勤入り日ってのは夕方から仕事だから昼間は少し仮眠をして…

リハーサル

1987年 7月1日 茨城県民文化センター 15時15分、メンバーを乗せたバスは会館に到着した。 ステージには組み立てられた、ツアー用ステージが組まれて照明のテストが行われていた。 楽屋に荷物を置くと尾崎はくわえ煙草でステージへと歩いていく。 ステ…

茨城へ

1987年 7月1日 東京駅 7月1日の東京駅 早朝にスタッフ達は、ツアーバスで茨城へ 尾崎を含むツアーメンバーは昼前から集まり始めると最後に来たのはやはり尾崎だった。 12時50分、ツアーバスは青山通りを抜けて高速道路の入り口を目指す。 ツアーメン…

前の日

1987年 6月下旬 ツアーの詳しい日程がメンバー達に伝達されていた。 初日の茨城、そして翌日は栃木県宇都宮市、1日空いて群馬へ 関東でコンサートをこなしていくのが最初の流れになっている。 スタジオでのリハーサルも終り、あとは当日会館でのリハー…

異動

やあ 会社にはいって2ヶ月のらりくらりとやってきたのだけど7月から別の部署へ異動になった 理由は他部署の人員不足知らないうちにまたどっさり辞めていたようだ 人員補充は仕方ないよね だけどいきなりすぎて笑ってしまった 福利厚生なんかもしっかりして…

1987年 6月下旬 リハーサルは続く。 十代の頃からは大きく変わったものがいくつかあった、バンドメンバーに楽曲のアレンジそして尾崎の声もその一つであったように思う。 十代の後半、最後のLTAツアーをまわっているころは芯が太く伸びがあるようにも聴こえ…

ラーメン

ラーメンが好き そんなことはこのブログを読んでいる人や俺の知り合いならわかることかもしれない たまの休日に食うものってやはり好きなものを食べたいよね べつにこの画像は今日食べたわけではないのだけどふと思い立ったのよ 今まで長いこと学生をやって…

私生活

1987年 6月下旬 尾崎はこの頃後に結婚する繁美と出会っている。 自著によれば下目黒の自宅に一緒に住んでいたようである。 下目黒の自宅からリハーサルを行うスタジオまでは毎日タクシーで通って、帰る時間はおそらくマチマチであったろう。 ツアーはも…

つ夜勤

俺たちの仕事は交代制でノルマとか正直がない 時間がこれば帰れるというものだ 勤務体制には夜勤というものがある 最初は夜勤なしという話で仕事が決まったけど、金もでるしやらんかい? ということでやることが決まったのだけど 確かに夜勤やるごとに金が出…

ライブリハーサル

1987年 6月下旬 スタジオでツアーメンバーとのツアーリハーサルが続く。 十代の頃の楽曲のアレンジはライブ用にロック色を強くしたものが多くなったが、新曲に関しての進行は難航していた。 「核」もそんな難航していた曲のひとつだった。 ブロックごと…

収拾

1987年 6月下旬 「いまだにアルバムができない理由は、とりあえず、至難の業であると・・ 取り囲むすべての物事をどういう風に投げかけてあげるべきかっていうのは、そんなに簡単にできることじゃないから時間はかかりますよってことだよね」 「少しず…

陽気

1987年 6月下旬 ツアーリハーサルが続いている。 レコーディングが一時的に中断しながらもリハーサルでの尾碕は時には陽気にメンバーたちと交流しに酒を飲んでは音楽について語ったという。 初日の茨城県民文化センターから始まるツアーは始まってしま…

アサヒ

なんだかんだでこれがうまいなー

お訪ね

1987年 6月中旬 夜がふけた頃 レコーディングが行き詰まっている中、尾崎は空いた時間に父親である健一氏と一緒にあるレコーディングスタジオに来ていた。 お訪ねのスタジオには旧知の間柄である須藤晃氏がいた。 須藤氏と尾崎の関係は十代での三部作を…

延期

1987年 6月中旬 スタッフたちが思いつめていたアルバムの発売延期が決定したのはこの頃であったのではないか? 新曲は全部で5曲は揃ったがレコーディングが5曲とも済んでいるわけではなかった。 アルバムの発売日は7月1日から10月1日に変更されたが、仮のタ…

カステラ

カステラ 南蛮渡来で日本にこいつが伝わったのは 安土桃山時代という戦国時代と江戸時代の狭間にある短い文化時代であったような記憶があるけど定かではない。 ギリギリ戦国期かもしれん このブログでは淡々となにかを書いてきたことが多かったのだけど思え…

選曲と順番

1987年 6月 リハーサルが進むなか、ツアーのために用意された曲は新曲から昔の曲まで20曲以上をレパートリーにしていた。 サウンドはよりロックンロールに近い音を意識しながらレコードで作られているポップな音を無視した形にもなっている。 1曲目…

LIFE

1987年 6月 「LIFE」と題された曲がある。 レコーディングまで進むまでには多くの時間を要した。 この曲に映し出される世界はとても幻想的にも見える。 ただ詞の部分には尾崎の心情を伺うことが出来るようにも思う。 ‘答えなど、なくていい、その理由は‘ と…

おつ

昨日と今日は休み 金曜日で5日間いった末期がん患者に対して緩和ケアを行う部署での仕事が終った。 気構えていたわけではないけど、仕事としては楽なもので 近々異動なんてことになってもこの部署ならやっていけそうな気がしないこともない。 明日からも仕…

ツアーの曲

1987年 6月 ツアーのリハーサルが続くなか演奏をする曲が決まってきていた。 新曲には「核」「LIFE」「街路樹」「ISM」,「街角の風の中」 という曲たちは優先的にコンサートで演奏することになる。 過去に作った十代三部作は全部で29曲構成としてはあ…

紙切れとバイブル

1987年 5月下旬 もうひとつのロックナンバー「紙切れとバイブル」について。 この曲が完成したときに勢いのいいロックンロールナンバーといいタイトルといい新アルバムのタイトル選定にも選ばれたが尾崎は「街路樹」でいこう。 ということになるのはま…

ロックナンバー

1987年 5月下旬 詞と曲が大方できあがっている曲を手直しして、レコーディングが続く。 詞を書き直すようなことも多かった。 「ISM」という曲はその中でも数少ないロックナンバーだった。 「街路樹」から連なって録られてきた多くの曲たちもロックとい…

6日

今日で6日の連日勤務が終る。 なんだかんだで早かったな。 しかしあれだな いきなり暑くなったり曇って涼しくなったるという毎日だな

1枚きろう

1987年 5月下旬 スタジオではまだレコーディングが続く。 この時点ではアルバムの完成を急ぐ前に予定していた7月1日には発売できそうにないことがスタッフの間でも危惧されていた。 尾崎を交えての話し合いではアルバムを出す前に1枚シングルを出そ…

MGS4

MGS4が出て今日で5年 あんまりこのブログでゲームのことを書いてこなかったけど MGSだけは付き合いが長いゲームだ 5年前高校1年のときにやったけど当時はPS3が出たばかりでまさにキラータイトルがやっとこさ登場みたいな感じだった記憶がある。 こんな…

リハーサル

1987年 5月中旬ツアーリハーサルが始まった。レコーディングはCBSソニー信濃町スタジオでツアーリハーサルは麻布十番のつづきスタジオでタクシーで通う。自宅から行くのは主にこの2箇所で当時尾崎は十代の頃から住んでいた下北沢のアパートを引払い、N…

OSAKA AGAIN

ツアーには山場というものがある いわゆるイベントのようなもの。 それがミュージシャンの度合いによっても異なってくる。 東京の日本青年館なのか渋谷公会堂なのか、日本武道館なのか? 大きな会場を指す事は間違いないようにも思う。 尾崎のこのTREES LINI…