matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

Yahoo!ブログからお引越し完了です。matagorou もしくは17isamuです。よろしくお願いします。

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

誰かのクラクション

誰かのクラクションという尾崎のレギュラーラジオ番組が1984年から1985年にかけて東海ラジオで製作され放送されていた。 後に同名の小説や曲が誕生することと誰かの~という詩とクラクションという言葉は尾崎の詩にもよく出てくることであるが、この…

水曜日

水曜蜘蛛の日と言ったのは昔の話 現実生活が実習という名で久々に忙しい ここまで暇で来たからそれへのあてつけかもしれんがなw 順調過ぎる際には何かを見落としている可能性もあるから慎重にいこうかね 軌跡のほうも順調なんだけどこれからまた長いから各会…

花粉

鼻がムズムズする もう花粉の季節ですかね しんどいです

まっくら

真っ暗やなwまったく なんか実習が充実してて1日終わるの早いな 最近よく帰路に尾崎を聞く あんまり聞いてないというかアルバムばっかりだったのだけどラジオとかライブはやっぱり意思表示というかファンとのコミュニケーションのようなとこがいいですな

NO1

回帰線の発売から1週間後須藤氏のもとにソニーから一本の電話がはいった 「NYの尾崎に連絡をいれてやりたいくらいだ! NO1だ」 という先週発売された尾崎のアルバム 「回帰線」が次週のチャートで1位になるという連絡であった。 事実アルバムは前作の「十…

ほほーい

さてさて今日も頑張りますか 今日で寒波は終わりらしい 春こいよ はよ!

回帰線

1985年3月21日 2枚目のアルバム「回帰線」が発売された。 英題「TROPIC OF GRADUATION」。 オリコン 最高1位・売上79.2万枚。 『収録曲』 1.Scrambling Rock'n' Roll 2.Bow! 3.Scrap Alley 4.ダンスホール 5.卒業 6.存在 7.坂の下に見えたあの街に 8…

5日

今日からまた5日やー

ハッピーバースデー

生きてたら45になるのかな 早いもので6月で3年になる わしも来月で19になる ブログも4月で4年と 追憶するのは老化の証拠という台詞がMW2にはあったなw

ぬあー

明日からまた実習や 5日頑張ってくる 嫌いじゃないが疲れのよねw うまく頭を使って手を抜くことも考えないとな

NY6

1985年3月27日 この日尾崎はセントラルパークへ行くために地下鉄を使った。 尾崎曰くかなり怖かったらしい。 27日は地下鉄をし使用してマンハッタン探訪の1日であったようだ。 日本では既に「回帰線」が発売されており少し時系列としては後々に遡るこ…

NY5

1985年3月23日 この日エンパイアーステートビル尾崎はにきていた。 エンパイアーステートビルってのはキングコングが登ったことでも有名なのではないかと思う。 展望から眺める地上の人々はアリよりも小さく映り、思わず彼は 「自分なんてちっぽけな存在な…

NY4

この写真は27日に撮影されたもの、個人的に好きでもあってちょっと書かせて欲しい。 NYはアメリカであってアメリカではない、その種々雑多な人種を描きたくてとった写真だと山内さんはこの写真に解説を加えているのだけど アメリカという国は、今でも新興…

NY3

1985年3月22日 この日尾崎はイーストリパーを渡り、ブルックリン側の岸辺にある有名なカフェ尾崎はこの日そのカフェで初めて摩天楼を見た。 その際にミモザを注文した。 勝手ながらリバーカフェから撮影した写真もあるのだが風景ばっかりじゃあかんと思った…

NY2

1985年3月21日 尾崎はレキシントン・アベニュー21ストリートにあるホテルに一ヶ月滞在した。 この風景を尾崎は見ながら毎日を過ごしていたのだろう。 「アメリカに生まれたかった。アメリカって、タフさみたいなものがあるんじゃないかな。自己主張の強い人…

たふー

実習が5日終わった なんだか早い感じがする 家から多少前よりかは近いからだと思うけどね すぐに終わりそうー 苦にもなってないし疲れるのは仕方ないけどねw 土日で軌跡の話を進めたい これ溜め込むときついよねマジでw

NY1

1985年3月20日 写真家の山内氏は尾崎をNYまで追いかけた。取材ではなく自費で・・ 音楽ライターの落合氏も有給を使って尾崎のライブに出かけたり、取材を行うなど尾崎にはライターや写真家が惹かれるものがあったのであろうと推測する。 このNYでくどい…

とりあえず今日行けば

今日行けば 休みや がんばろう やっぱり疲れがたまってる 肩が痛いわ

一ヶ月の渡米

ツアーが終了し一ヶ月の休養ということで尾崎はNYへ行った。 前年から考えられていたものでその話はこのカテゴリの記事で以前述べた。 前年に計画されていた渡米の話では1週間という話であったが尾崎が野音でのトラブルで骨折ということで頓挫していたが…

雨やなー

まったく雨が降っとるわい 実習中に天候が崩れると面倒なのよねまったく

回帰線の制作

ツアーが終わり前年から制作が続いていた2枚目のアルバムのミックスダウンが終ったのがこの時期であり尾崎はツアー終了の休養ということで1ヶ月の渡米の準備を行っていた。 この「回帰線」の制作は前年の7月から始まっておりツアー終了の後に最終段階を…

よう

なんか実習は今回が初めてではないし以前の感覚が戻ってきたようだ。 まだけっこうあるが頑張っていこう

がぬー

3日目終わりー ちょちょいと終わりそうかな? なんか時間経つの早いよ

パワー

力が出ないというより水曜にして疲れているからだやなw

キヨシくんのこと

ある男とは小川清史氏のことで後のレッド・ウォーリアーズのベーシストとして活躍する男である。 彼は尾崎のマネージャー兼ローディーであり、デビューライブのルイードからこれまでに追ってきたツアーの最終地札幌まで同行した。 彼はミュージシャンを目指…

ぬあー

実習2日目や頑張ろう インフルエンザが流行っているフロアに配属するのは間違ってると思うんだ

創作ノートだって

尾崎の創作ノートが発売されるらしいけど須藤さんが保管してるやつに実家に保管してたやつ加えたんかな? まあ人の日記を出版するのは少しどうかと思うけど資料として価値ある内容なら欲しいのう とりあえず続報待ちか

渋谷絵画館前

1985年 2月24日 渋谷絵画館前 NYにいく前の尾崎はツアーを終えたばかりで一息ついていたり、回帰線の製作が終わりにかかっていたりと多少の余裕があった時期だったのではないだろうか。 NYという街を尾崎はとても大きな街だと思うと感じている …

First TOURについて

札幌でツアーを終えて尾崎は休養期間にはいった。 このツアーでバンドに HEART.・OF・KLAXONという名前をファンの前で公言した。 ツアーを通じてバンドを紹介する機会にもなった。 結成の由来は尾崎をいれたロックバンドであり、OZAKI&HEART・OF・KLAXONと…

ゴゴゴゴゴゴ

明日から実習やー 20日間頑張るかー