matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

有明コロシアム 2日目

1987年 8月30日 有明コロシアム 2日目の尾崎の声は少し枯れていた。 1曲目の「LIFE」からいつもよりも言葉に重みを置いたような歌い方が強調される。 「DRIVING ALL NIGHT」、「BOW!」とロックナンバーが続く。 12弦ギタ…

2日目

1987年 8月30日 有明コロシアム 本番前に佇む尾崎。 開演時刻が迫る中、SEは流れている。 What you needが流れ終わる前にメンバーたちはステージに現れた。 その様を観客たちは拍手で迎える。 尾崎は煙草に火をつけて、直前まで落ち着いている。 S…

チキンカツ

アーモンドがかかったチキンカツ チキンカツってあんまり食べたことなかったのだけど、中々おいしいね トンカツとヒレカツも好きだけど、ジューシーなのはチキンカツなのやもしれる

ぽぽぽぽ

火曜日が夜勤明けで昨日と今日が休み まったりしようと決めたんだ・・

有明コロシアム 初日

1987年 8月29日 有明コロシアム 定刻通りにライブが始まった。 メンバーや尾崎が出入りする入り口からステージまで離れていた。 演奏が始まると彼は出てくる。 照明もまだ彼を追わずに、ただ観客は拍手と歓声で迎えるばかりであった。 1曲目に「LIFE…

東京

1987年 8月29日 東京 彼は東京に帰ってきた。 ビートチャイルドから1週間を経たライブはできたばかりの有明コロシアムで行われる。 メンバーを乗せたバスは昼過ぎに有明コロシアムに着くと、楽屋に荷物を降ろす。 彼のリハーサルはすぐに始まった。 …

終幕

1987年 8月23日 コンサートは終盤に近づいた。 朝日が昇ると共に、最後の出演者である佐野元春がハートランドを連れてステージに立った。 彼のステージにはエコーズの辻仁成、シェイクス黒水伸一がゲストとして参加した。 5時から始まったステージは…

3時

1987年8月23日 尾崎の出番がきた。 雨が激しくなっていく中、彼はメンバーと共にステージに現れた。 1曲目は「シェリー」を弾き語りでやった。 「DRIVING ALL NIGHT」、「BOW!」と続く。 「こんばんは・・雨降ってるけど、最後まで聞いてくれ」 そう言う…

YESに影響されたNo

YESに影響されたNo 藤沢映子 藤沢さんの本は過去二回扱ってきた 尾崎の取材をよく行ったことで馴染みのある名前だが尾崎の生前に藤沢さんが一冊本を出さなかったというかだせなかったのは落合さんが既に一冊尾崎のストーリー集をだしていたからか? 藤沢さん…

変動

1987年 8月22日 22日のトリはハウンドドッグだった。 炎のランナーがかかると客席からは声があがる。 ハウンドドッグはこのイベントの中核的な存在であったかもしれない。 本来の企画にもあるように5大アーティストが集うというようなものであった…

雨あがる

1987年 8月22日 THE HEARTの次にTHE BLUE HEARTS、UP-BEATと続いていく。 RED WARRIORSが出演したころには少し雨があがっていた。 オープニングのカジノドライブからラストナンバーのワイルドチェリーまでを歌いきっても晴れ渡っている。 次に出演し…

THE HEART

1987年 8月22日 開演前に前座として現れたのは、マザー所属デビュー前のバンド THE HEARTであった。 ボーカルは尾崎より1歳年下の井口一彦であった。 雨が降る中、彼はイントレに登ったりステージで転げたりその姿は尾崎を少し彷彿させるものでもあ…

開演前

1987年 8月22日 イベントの開演時間が迫る中、雨は激しさを増していた。 コンサートは始まるのか? そんな不安が観客たちにもあったであろう、企画の責任者でもあるマザーの社長、福田信がマイクをもってステージに現れ、観客たちに促した。 ‘落ち着…

降り出した雨

1987年 8月22日 阿蘇 ポツポツと降り出した雨は、豪雨となって観客たちに、襲いかかった。 コンサートが始まる前に、雨となった。 機材をビニールシートで包む、スタッフ 雨具やダンボール、傘などで雨から身を守る観衆たち。 その中でも音の調整など…

暑い

なんだかんだで暑い毎日 ぐうぬぬぬ

7万人

1987年 8月22日 全国から来たツアーバスの客、車多くの人間が阿蘇の山に集まっていた。 開演時間は夕方の6時、終演は翌朝の6時までの12時間オールナイトライブ。 出演の面子もそれぞれが単独公演で万人を呼ぶことができる、バンドも多くいた。 そ…

九州入り

1987年 8月21日 スタッフはもとより、出演者も大勢が博多にホテルをとっていた。 リハーサルのために移動を開始している。 チケットだけでも7万枚が完売し関係者の手元にすら1枚も残ることがなかった。 その群集が当日には駆けつけてしまう。 その前に…

ふおーー

最近暑すぎ 夏も終わりに近づいたのか、陽が沈むのがはやくなってきたように思う 仕事は部署が変わってから忙しくなった それはいいのだけど、この業界人の出入りが激しく、今は慢性的な人不足 負担は残ってる人間にやってくるもんだ その負担に耐えきれずに…

どて煮

どて煮を先日食べた これは名古屋特有のつまみなんかな? 味噌っぽいしね ホルモンと大根を味噌でよく煮たようなつまみです 中々おいしいよー あなたも是非ーー

紙切れとバイブル

1987年 8月下旬 東京に戻ってきた尾崎は以前話したレコーディングスタジオにシャケをよんでいた。 シャケに依頼する曲は「紙切れとバイブル」 既にツアーでも何度かやっている曲であった。 レコーディングは思いのほか早く終わった。 尾崎もボーカルを…

vcさ:ぴvな

今日は久しぶりの休み なんか夏だからか、余計に体がだるいなー 20歳の言う台詞ではないねまったく

日立市民会館

1987年 8月19日 日立市民会館 再び尾崎はツアーを始めた茨城県にきていた。 地方まで隅々まで赴くのがこのツアーの目標であったのであろう。 名前が知られて、レコードの売れ行きがよければツアーの回数が変わらなくてもコンサートの本数は半分ほどに…

浜松市民会館

1987年 8月17日 浜松市民会館 再び尾崎は静岡県にきていた。 浜松はやや西よりに位置する、どちらかというと愛知県よりである。 尾崎は7月に2回この県を訪れていた。 地方までくまなくまわるということが復帰、復活につなげるスタンスであったので…

伊勢崎市民文化会館

1987年 8月14日 伊勢崎市民文化会館 尾崎は再びツアーの日常に戻っていた。 1曲目は「街路樹」から「LIFE」に変更してラストナンバーに「街路樹」をもってくる形になった。 ライブでの時間は彼にとっては短いように感じても3時間近いステージが連続して…

広島の尾崎

1987年 8月 広島での尾崎続く・・・ 尾崎は仲間たちと飲みにくりだす、バンドのメンバーもいればかつてスタッフであったキヨシの姿もあったという。 RED WARRIORSのボーカル、ダイアモンドユカイが2009年に書いた本「成り下がり」によれば、彼とハウン…

ロック論

1987年 8月 広島 広島平和コンサートでの2日間が終わると打ち上げが行われた。 打ち上げの席には出演者もいれば同じ事務所の人間も大勢いる。 RED WARRIORSのギタリスト木暮武彦ことシャケは言う。 「チューニングの狂ったギターでもロックンロールは…

お盆

世間はお盆~ 死者が帰ってくるというわな。 今年は親父の実家には帰れそうにないな こんな夏は初めてかもしれない。 とても暑いし、クーラーなしでは寝れない日がよく続く。 生暖かい風ばかりでは寝ることもできない、夜でも気温は30度近いね お袋も帰っ…

ツイストとドッグ

1987年 8月6日 広島サンプラザ 尾崎たちが出番を終えてからもコンサートは続く。 今日のために再結成されたツイストが登場すると、会場は沸き返る。 世良正則とメンバーが再びこの日に集まった。 ベースの鮫島秀樹は今やハウンドドッグのベーシストとして…

ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130813-00000500-sanspo-movi どのカテゴリで書くべきか迷ったけどここで書いておこう。 ビートチャイルドの映画の件については知人のタレコミで4月にその一報というか最初の記事を書いたと思う。 その記事はこちら→ …

夏だね

夏だねーと思う この暑さ、各地で35度超えは当たり前、高知では41度とは・・・ 生きてる心地がなんかしないような暑さだよね 仕事は内勤だから涼しいところにいつもいるのだけど、家に帰ってみると家のほうが暑いことが多い 少し風が吹くだけで涼しいと…