1984年7月6日
尾崎、渡米の話が母から父への電話で知らされた
期限は一週間、勉強及び見学という建前であったが後に86年から1年近く渡米する話とはまた別件であったと思われる。
当然ながら戸籍謄本、ビザの手続きが必要である。
余談ながら尾崎豊の本籍地は父健一氏の岐阜県高山市であるため 高山市役所まで取りに行く必要があったのだが
この時健一氏は書類等の入手手続きを高山市に住む実兄に依頼した。
7月12日
渡米に関するすべての手続きと書類が揃った。
マザー社長福田氏とこの渡米の件に関しても相談があった。
どういった内容であったかは推測するにこの音楽業のための勉強、見学と説明し同意を得たのであろう。
この渡米計画は7月23日からということであったが結局は実現しなかった。
長期渡米となったのは86年のときで尾崎はそのときまだ20歳であった。
3ヶ月も経った頃に無管理、無計画な渡米であったと父健一氏は実感したと後年自著で述べている。