1987年 9月
関西でのツアーが続く。
和歌山でのライブを終えると、翌日は中休み。
13日には滋賀県の守山市民ホールでのライブであった。
結果を書いてしまうとツアーは9月で中断されてあと半分のこっていたスケジュールはすべてキャンセルされてしまう。
直接的には尾崎の体調不良が原因であるが、もっと先に起こる事件を想定すれば彼は既に白い粉に負けていたのであろう。
疲れをいやすために、ストレスから逃れるために・・・・
なんのためにという理由よりもこの時期から頻繁に使っていたと考えるべきなのか?
日に日に迫ってくるコンサートとその合間に行われるレコーディングによって追い詰められていたことは確かなようだ。
アルバムの発売は延期して、ツアーは決まっているだけのスケジュールでも12月まで続く。
彼の悩みは仕事にあったのであろう。