matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

いいことないかななんてこの前書いたけど 俺はそいやけっこうクジ運が良い方でさ、良いことのほうがよく起きてると思うのだけど たまになんかあるとこれは日頃の行いが悪いのかバチがあたったのかと考えるよねw

ほおい

もう少しましなことしないとあかんよな

煙草ってやつぁ

専門時代に通っていた街にはタバコ屋が多かった。 昼時にはタバコ屋の周りにスーツマンがタバコを買いにきたり喫煙所を利用していた。 そこまで喫煙者というのは今の時代追いやられている。 分煙から禁煙まで飲食店からライブハウスまでどこもかしこも禁煙が…

黄昏ゆく街で・・

1990年 5月 「黄昏ゆく街で」これはNYでの新婚生活のことを書いた曲であったことは以前に書いた。 尾崎にとってNYという街は何度も訪れているところだ。 19歳で一ヶ月の滞在を経た後20歳での少ない時間と21歳になってからの僅かな時間をここで過ごしたあと、…

鰹のタタキ

鰹のタタキ かかってるのはニンニク 高知で食いたいな

LOVE WAYの世界

1990年 5月 レコーディング中にアレンジャーの星氏と尾崎は楽曲アレンジに関してよく意見を出し合った。 「LOVE WAY」という曲には難解な詩が多く散りばめられているが「愛」ひとつだけをテーマにしていても本筋がよく見えない彼にしか描けない世界観が1曲の…

秋刀魚の季節

秋刀魚や

詩をかく

1990年 5月 尾崎の詩というものはノートによく書かれた。 この頃はワープロを駆使して清書されたものが多かったという。 「カドカワ」で新しく掲載されることなった詩は尾崎が撮影した写真と同時に載せられ題名を「白紙の散乱」として月刊「カドカワ」90年8…

HMVにて

HMVにて ホットロードのおかげかな 須藤さんもタイアップ増やして将来安泰にしとかなあかんな

大森靖子 インストイベント 名古屋パルコ西館

パルコ西館であった大森靖子のインストイベントに妹と参加 握手券のためにシングル買わされますたよまったく 握手よか作品が欲しいがそれは来週までお預け、握手券で稼いだなタワーレコード! 妹一押しのシンガーソングライターで事務所もなしに永らく活動し…

ほく

涼しいな というか寒いぞ

執筆活動

1990年 5月 この頃連載小説「黄昏ゆく街で」のほかに短編小説を執筆し始め。 さらに詩と写真を組み合わせた新しい連載も決まっておりレコーディングとあいまって尾崎には無理がたかっていたと見るべきか・・ 長い空白のせいで意欲はあるが、仕事が増え自分の…

LIVE CORE

1988.9.12 LIVE CORE BIG EGG TOKYO DOME たぶん君の思いひとつでやりたくなければ投げ出せて捨ててしまえばよかったのに君はファンの前に帰ってきた。 ライブが好きでもステージに立ちたくないときなんてミュージシャンにはあるよね。 気分が乗らなきゃ降り…

911

911の日か

父が倒れる

1990年 5月 尾崎の父健一氏が脳梗塞で倒れるという事態があった。 元々の糖尿病からきたものであったという。 尾崎はレコーディング中でそこから病院にかけつけたとか。 父が倒れたことは尾崎にも大きなショックをあたえ、またレコーディングのストレスも加…

今さら0!!

親父が買ってきた 今さらやけどw

最近

最近あまり記事を書いていない 書き溜めているのでもう少し待ってくだしあ

ぬか

ほあ なにしてるのやろうか

ストレス

1990年 5月 レコーディングがうまく進行しない尾崎は日に日にイライラしていた。 物にあたることもあれば人にあたることも多く。 難航しながらもレコーディングは続く。 時間が空くこともないが「カドカワ」での連載を抱えており原稿も書けば、新しく掲載す…

秋やね

涼しいよるや 秋やね

錯乱する尾崎

1990 5月 スタジオには須藤氏をはじめアレンジャーの星氏、そして事務所の担当者スタジオにつめていた。 尾崎は録音が自分の思い通りにいかないとよく暴れて錯乱した。 この暴れる姿には須藤氏も閉口し戸惑うしかなかった。 そんな尾崎が存在しながらもレコ…

ほか

涼しいのだか暑いのか まったく

区切り

1990年 5月 尾崎にとって1枚のレコードアルバムを作ることは、区切りをつける思いがある。 表面的に掲げたテーマは‘復活‘であり「誕生」であるが「街路樹」以後の尾崎は新しい二十代としての生活者としての音楽を提供していきたいという思いがこめられている。

スタジオにて

1990年 5月 スタジオにこもる尾崎と過ごすのは「壊れた扉から」以来の須藤氏で一緒に仕事をするというのも5年ぶりではあった。 それまでのインターバルに尾崎はNYへ渡米しレコード会社を移籍、ツアーを中断、逮捕、復活へと多くの道を経てここまでやってき…

はら

金は楽にはもらえないものやな

ストレス

1990年 5月 レコーディングが始まってからの日々はスタジオに篭ることが多くなっていた。 その合間に原稿を書いたりと尾崎は多忙であった。 またベーシックトラックを作るまでの音へのこだわり、ボーカル録りのときにも思うように声がでなかったりと忙しさも…

おう

よく考えたらラーメン食ってりゃ痩せる気あるのかって話だな

ほさー

しかしまあ太ったものや 運動せなあかんのやけどいきなりやってもねー 歩こうかな

こってり

なんだかんだのこってりだよね

セルフプロデュース

1990年 4月 新たに作られ始めた新作「誕生」は尾崎による初のセルフプロデュース作品となっている。 今までなにかにつけてはスタッフ任せで作ってきた十代の作品たちツアーやリハーサルと重なっていたりとトラックダウンまで立ち会った自分の作品は前作の「…