matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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あれはいったい・・・・・・・・

このカテゴリとも随分ご無沙汰してます

いや書くことなんて山程あって困ってるくらいなんだけど
あえて書かなかった まだ死んでないはずだってなぜか思ってる 仏壇の前に
骨がおいてあるってのによw

おふざけで書くためにやってるわけではないのだけど。
昨夜と言った方が正しいのか?
おかんがまた夢にきたのだけど 今回はなぜ深刻なものを僕は見てしまったのか? はてまたあれはまさか別ルートだったのか・・・・

別ルートとは人生の分岐点 つまりもし生きていたらという時のことだったのか? いやそれにしては元気ではなかった?
このカテゴリはただふと後で見て思い出せるようなことで書いているので文面などが間違っていてもおかしくてもあしからず。

かなり弱っていたような姿でもあった・・・・
しかし家事はしていたような気も今頭の中にすっと浮かんでいる

まさかあれがあの世での姿dだったとしたらまだおかんは苦しんでいるのか?
あの苦しみから逃れて少しは楽になったのではないの?

僕は毎日が悲しかった
あの痛みが自分の痛みのようにも感じていた

話は変わるけど 死の数十日前にはすでに寝たきりで家にいた記憶がある
立つことすらままならなくて祖母がついていた

僕は毎日その姿を見ると学校に行くのが嫌でそばにいたかったけど
そうにもいかない現実があった しかし今考えればというか学校の組織という
のは仕事、会社に比べればまだ軽いものでまた俺がおかんが亡くなる前から
学校を休んで側につき始めた時期がほんの少しあったのだけど
それは普通なら欠席扱いになるらしいが 配慮で出港停止になっていたらしく

俺も生徒手帳に書いてあった 校長の特別許可による出港停止というのは知ってるけど 担任がそこまで動いてるとは見当もつかなくて少し大きな大切な時間を
無駄にしていたのではないかと思ってしまう。

さて夢の話の続きで その時ふと目覚めたら午前6時になるところ俺は泣いてた
涙もろいんじゃないよ この件は特別

人前で涙なんて昔から見せるのは僕の変な意地でしたことがなかった
子供の頃初めての注射ってのは 泣くもんらしいけど

僕は泣かなかったらしいw 
中学生の時3年最後の公式戦で大きく点差が開いて みじめに負けたときも
16人いた同期の連中は15人は泣いてた 僕は泣かなかった
おかんの件だけは別件です もう少しで半年です