matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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大阪球場の前に

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1985年8月9日 
 
この時期の尾崎は取材で大阪球場へのことをその度によく聞かれた。
尾崎はデビューしてまだ1年と数ヶ月というところであるが、この男はまだ19歳で、もうじき20歳になるであろう若者であるが、その若者が数十日後には都市にある野外球場に群衆を招きいれた、ライブを行う。
 
彼のことを小さなライブハウスの活動期から追ってきた人々には興味ないわけがないであろう。
今までで多かったキャパシティでも4桁を超えるものはない、ライブハウスで7人の客から始まった彼の翌年のスケジュールはレコーディング、ライブ、執筆、取材と多岐にわたる。
 
そんな中行われているツアーの追加公演という形で大阪球場でライブを行うことが初日立川でのライブ後に本人と事務所関係を交えた少人数で手短に説明はあった。
それ以後のコンサートは日本全国をまわり、尾崎は確実にその場数をこなし、とうとうそのツアーも大詰めというところまできた。
 
尾崎は言う
「ボクが歌っていくことっていうのは、世の中の間違ったものに目を向けていく、問題意識を持ってほしいっていうこととかのポリシーがあるわけですよね。それが今回の大阪球場をやることによって2万人という単位は世の中一般から見たら少ないかもしれないけど、その2万人の人が来てくれることによって、なにかのキッカケ、ムーブメントになればいいかなって思ってるんです。」
 
認知から広げていこうというこの意識もあるが、この大阪球場ライブのチケットは即日完売でアリーナ座席、ステージのセッティングを見直し、急遽チケットの追加販売が行われた。
 
だが尾崎はこの事実にもあまり、驚かない。
「売れる、売れないっていうのは共同作業で、その中でいかにモノを作り上げていくかがボクの作業なんですよね。そこでボクがこうすればいいだろうってことはわきまえたし、それはボクにとってもいいってことじゃなくてね。
ボクは正しいことは正しいって伝える手段を持ってるだろうかって考え続けてきたし、今も考え続けてる。
その伝えるってことと売れるということは同じであって違うところが必ずあると思うんです、だから驚くとか驚かないってことは・・・」
 
と言葉を切った。