matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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仙台の夜

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1985年8月20日 深夜 仙台
仙台でのライブを終え、尾崎たちはホテルへと帰る。
このツアーにも終わりが見え始め、少なくとも間近に迫った大阪球場公演のことで少し尾崎は不安を抱えながらこの残り少ないライブをこなしつつも、大観衆で歌うことを考えている。
 
そんなことがメンバーにもスタッフにも見受けられている、興奮と不安は紙一重とも言えるであろう。
ホテルへと帰って、食事を終え眠っていた、深夜2時
 
1人の珍客が尾崎の部屋へとなだれ込む
 
「コラ! オザキ! 起きろ!」
そう言って、尾崎の部屋へやってきたのは、同じ事務所の先輩HOUND・DOGのボーカル大友康平氏であった。
彼らは尾崎たちより一足早い1985年の4月から「TYPHOON PARTY TOUR 1985」と銘打たれた、
メンバー交代乗り越えを祈った、コンサートツアーも終盤にさしかかったところで、去る1985年8月10日には西武球場でのコンサートを雨の中、成功させ大友氏も仕掛けた花火をこうむるなど、アクシデントに見舞われながら、コンサートを成功させて、この東北にツアーで来ていた。
 
偶然にも近場ということで尾崎へと会いにきたのである。
ドアを足で蹴り開けると、酒を2人で飲もうと、大友氏は言う。
本当は、大して酔っぱらってはいなかった。なんとなく、男同士で酒を飲んでみたかったのだ。
 
大友氏は尾崎に話を切り出す。
 
「おまえ、もうすぐだろ? どうだ、気分は」
 
「はぁ、やっぱり怖いですねえ」
「なにもよ、球場だからって、ビビるこたあねぇんだよ。気持ち良く歌えたら、それでいいんだよ。気にするこたぁねえや」
 
彼はまだ細い少年の体型をした尾崎の肩をポンと叩いて、部屋を出た。その時からかも知れない。
尾崎豊といういとりのアーティストを認めた上で、兄貴になれる自分がいた。
 
余談ながら、ハウンド・ドッグという80年代のロックシーンのなかで圧倒的なライブ観客動員数を誇る、このバンドもこの1985年8月25日に発売されるシングル「ff」という高名な彼らの代表曲があるが、そのヒットの前にも関わらず、全国で50本以上のコンサートスケジュールを組んで、チケットをさばける、バンドはこの時代でもそう多くなかったであろう。
さらに余談ながら、この時代のアーティストの階段というものを筆者風に書いておくとすれば、新宿ルイード、ロフトなどのライブハウスを経て、日本青年館渋谷公会堂へというステップ原則のようなものがあった。
 
この2年前ハウンド・ドッグは初の日本武道館公演を終え、精力的な活動を続けるも、メンバー交代を経てバンドの窮地へ立ったとき、再起を目指した、このツアーの終盤、西武球場でのコンサートを成功させ、ここにいる。
 
尾崎と比べれば経験も、階段も上にいる存在ではあるが、こうして尾崎は一つ上のステップへとあがろうとしている。