matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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Forget-me-notについてその2

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メロディーのきれいなバラードである「ILOVEYOU」、「OH MY LITTLE GIRL」とは少し違う、哀しみのあるバラードという仕上がりになっている。

作品としての詞の内容は十代の青年が既にその歳にして「恋愛」というものに絶望視しているような心情が綴られている。

その詞の哀しさに2年近い付き合いのある須藤氏も驚きを隠せず、プライベートな尾崎の私的なことを歌にしていきた曲もいつのまにか、ファンのものにされてしまった、その時の状況も拭えないが、そこにきてファンのために歌うと決意をしていた尾崎はその決意のせいで縛られ、前に進めなくなっていたのではないだろうかと推測する。

昔のことを懐かしがるようなことはあっても、それを曲にして、過去を振り返るような曲はそれまでにはなく、歌われているのは愛を誓うような決意でもなければ取り返しがつかないまま失ってしまった「絶望感」ではないかと思う。

この曲で尾崎が回想しているのは初めてレコードを作っていたときの十七歳の時の心情ではないだろうかと筆者は思っている、

‘初めて君と出会った日、僕はビルのむこうの空をいつまでもさがしていた‘

という詞は「十七歳の地図」で表れる歩道橋の上でみた夕陽のことを指しているようにも思う、十七歳の時尾崎はその夕陽をみて‘強く生きなきゃと思うんだ‘と決意をしたが、その2年後19歳の尾崎は夕陽での強く生きるという決意から絶望の象徴として、歌っている。

そして「街」というワードでくくられてきた、詞の中でもこの曲は

‘狂った街では、二人のこの愛さえうつろい踏みにじられる‘
と歌っている。
まるで愛の喪失を決め込んだような詞であり、「街の風景」から歌ってきた「街」という尾崎のイメージと思いは喪失と欺瞞で満ち溢れるようなものになってしまっていると思う。

しかし最終的にはこれが十代の活動の中で作った最後の曲となった。
尾崎の「十代」という創作活動はこれで終わりを告げ。

尾崎が思い描いてきた街における風景というものが存在し、これまでの活動で多くの影響を与えたことであろうが、その風景はこの「Forget-me-not」という曲で完結したという事実は紛れもないことであろう。

日付は1985年10月25日になっていた。
本当に締め切りのギリギリでこの曲が録られ、レコードは9曲という形で世に送り出されることになる。