プリピャチでのチェルノブイリ原子力発電所事故は全世界に大きな激震を与えた。
尾崎のロンドンへの出発間際に起ったこの事件の影響は尾崎にもやってきた。
当時ソ連当局により発表された被害の状況は死者31人というものであったが、実際には約1万人と言われるほどの大事故であり放射能に汚染された、空気がヨーロッパ大陸全体を覆い海を越えてロンドンにまで達していた。
これではロンドンへ行けないということで急遽行き先はロンドンから別の場所へと変わる事になったが、候補はLA、NYと早くも代替案として挙がったが尾崎はその中でも巨大な街であるNYを選んだ。