当初二度目の海外渡航先はヨーロッパのロンドンであったが、まだこの時期に発生していないが
ソビエト連邦、プリピャチにおいて起きたチェルノブイリ原発事故の影響でイギリスは放射能汚染の危険があるため、渡航先をアメリカNYにするという転換案が原発事故以後に尾崎家へ話がされた模様である。
しかしこれはまだ先の話である。
当の尾崎は海外へ行く話を限られた友人や周りに話していたであろう。
公表される突然の無期限活動休止の期間は結果的には1年になるが、ファンは1年ほど尾崎の再登場を待たなければならなくなる。
そのためにも、フィルムコンサートなどといったイベントが全国で行われたのであろう。