1986年 7月下旬 NY
浜田氏と須藤氏の関係は浜田氏が「愛奴」というバンドで活動していた頃から始まっている。
「愛奴」は1972年に結成、74年には広島フォーク村の先輩である吉田拓郎氏のバックバンドとして1年間彼の全国ツアーに参加している。
75年にデビューしたロックバンドで浜田氏はドラムスとパーカッションボーカルを担当しており、このバンドで浜田氏はシングルを2枚、アルバムを1枚まで出したがデビュー3ヶ月で「愛奴」
を脱退し、76年の4月にはソロデビューを果たしている。
余談ながらこの新アルバム「J.BOY」がソロデビュー10年目にして初のオリコン・アルバムチャート第1位を獲得し名実共に日本の音楽シーンを代表するトップ・アーティストとしての地位を確立にするに繋がるのである。
前の記事で書いたミックスの作業には浜田氏の希望により彼が敬愛するジャクソン・ブラウンやドン・ヘンリーを手掛けるエンジニアのグレッグ・ラダーニが担当している。
トラックダウンが終って、出来上がったばかりのテープを聴いた尾崎が
「僕のことを歌ってるみだいだ」
と話し、浜田氏も
「そうだよ。君のことを歌ってるんだよ」
と答えたエピソードがある。
さらに余談ながら関係者のスタッフ以外で新曲の「J.BOY」を最初に聞いたのが尾崎であったとも言われているが、あくまで両者の仲を見るエピソードに過ぎないかもしれない。