ALIVE HIROSHIMA 広島平和コンサート、広島ピースコンサート
色々な呼び方がある。
‘平和がいいに決まってる‘をスローガンにフォーク界の重鎮である南こうせつ、山本コウタロウーの企画が発端であった。
これは広島に原爆が落ちたことから関係しているチャリティーイベントとしての位置付けでもあり。
コンサート、写真集、レコード、収益はすべて原爆により被災した人たちのために・・・
というものであった。
すべてのアーティストが手弁当で開催日にスケジュールを空けて、広島に集まる。
これには音楽の力を見せたい思いもあったことであろう。
筆者の思いが過ぎた。
1986年8月5、6日
第一回目の広島平和コンサートが広島修道大学で行われた。
参加アーティストは以下の通り。
EARTHSHAKER、ALFEE、杏里、イルカ、ARB、ECHOES、オスマン・サンコン、郭峰、 かまやつひろし、CARLA BONOFF、GRAHAM NASH、小室等、財津和夫、さだまさし、 THE ROCKBAND、J.D.SOUTHER、SION、ZIG ZAG、将暁松、杉田二郎、STIFFANY、 張暁輝、チョー・ヨンピル、DAVID LINDLEY、TRIAD、中野良子、BAKUFU-SLUMP、 HURBS、44 MAGNUM、BREAD & BUTTER、南こうせつ、山本コウタロー、RSTS&STAR、LAUGHIN' NOSE
というものであった。
そして1987年から1997年まで行われる10年間の計画として ALIVE HIROSHIMA 1987~1997というタイトルになる。(実際には1995年まで実施された。)
手弁当、ギャラはなし、当然アーティスト間の横のつながりや事務所との交渉の末に出演アーティストが調整される。
各演者の出演時間は1時間ほど。
その計画の最初の1987年、ALIVE HIROSHIMA 場所は広島サンプラザホールで行われることが決まったが、出演に関しての話はマザーエンタープライズにも当然きていた。
マザーからはこの1987年公演に所属アーティスト、HOUND DOG,THE STREET SLIDERS、RED WARRIORS
尾崎豊、世良公則と総出であり、また世良公則が6年ぶりにTWISTを再結成してこの舞台に立つという意気込みっぷりであった。
彼らは8月5日、6日スケジュールを空けて広島に集まる。
バブル絶頂期とはいえ、ここまで贅沢なイベントは後にもまだないようにも筆者は思う。
音楽に何でも求めることは難しいが、自分たちができることをという思いで1人、1人が報酬なしにチャリティーイベントに立ち上がるという時代はどこかに忘れ去られてしまったようにも思う。