matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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ビートチャイルドのこと

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1987年 3月17日

尾崎は帰国した。
朝霞の実家で体を休めながら、作曲や作詞に励む生活をおくっていたようである。

話は尾崎のことから少し脇道へそれる。
同じ時期、マザーエンタープライズの社長福田氏はBOØWYのマネジメントをしている事務所ユイ音楽工房の粕谷氏を原宿のRカフェに来てくれないかと連絡をしていた。

そのカフェに着くと佐野元春などが所属している事務所ハートランドの春名源基氏もいたという。
2人が持ち出した話は、今年の夏熊本県阿蘇でロックアーティストが出演する一大イベントをやるというもので、正式発表はしていないが「ビートチャイルド」という仮称であった。

余談ながらこの「ビートチャイルド」という名称は田島氏がつけたという。

イベントの出演者はマザーからHOUND DOG,尾崎豊ハートランドから、佐野元春,渡辺美里、ユイ工房からはBOØWYというもので予定入場者数は8万人という壮大な計画であった。

粕谷氏はこのイベントが実行できたなら「拓郎・かぐや姫イン嬬恋」5万人のイベントを越えて日本音楽史上最大のイベントになるのではないかと考えたという。

その場で2人にBOØWYの出演を約束し、同時に2人からプロデューサーとしてイベントに共同参加することも引き受けたという。

イベントに出演するアーティストも最初は5人というもので、あったが後にこのイベントには13組のバンドが出演し、その動員数と天候によりまさに伝説という名前を欲しいままにするイベントになる。

しかし天候ということを頭のどこかに置いていたとしても、快晴で大きく成功してくれることを願っていたのであろう。