1988年 11月23日 大磯
14時前に大磯に到着した尾崎一家。
窯場は国道1号線に間近い谷間にあり、建物の内部は作業場と応接室に分かれている。
この時間でも既に多くの来客があったという。
背後には哲也氏の父が新しくアトリエを建てる場所として古い別荘をすでに購入していたという。
健一氏はここにある近代的な電気窯というものを見たことがなかったというしまた陶芸工房の雰囲気というものも豊にとって得難い体験になると思われたと語っている。
余談ながら当時公害自然環境保護というものがやかましく叫ばれるようになり人里近くでは昔ながらの薪で焼く登り窯はほとんど許可されなくなったという。
この小谷は紅葉谷とよばれその名称にそむかず秋には見事な紅葉が谷を埋め尽くしたとか・・
時期はずれてたはいたがその名残が枝を離れずにいたという。