matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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「この瞬間を尾崎 豊に捧げます」息子、裕哉が初のワンマンライヴを開催



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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160221-00025463-rollingsj-musi

コピペです
尾崎の子供がルイードでワンマンライブしたらしい。
チケットはソールドアウトしてたとよ
告知もそこまでされてないのに誰が行ったんや

行った人がこのブログの読者にいたらいたらレポよろしく!





2016年2月16日、尾崎裕哉が東京にて初のワンマンライヴを開催 
大勢のファンが詰めかけ、定刻の18:30から30分ほど押してライヴはスタートした。



 ステージに登場した尾崎裕哉は、1曲目を歌い出す前に、満員のオーディエンスに問いかけた。 「ここがどこかわかる? 新宿RUIDOは、僕の父親・尾崎 豊が初ライヴをした場所なんだ」。
優しい声でそう言うとギターを持ち「1曲目、この瞬間を尾崎豊に捧げます」と『I LOVE YOU』を熱唱。そこには確かに尾崎 豊の遺伝子があった。 だが、2曲目の前にMCで「音楽って時の流れのことだと思う」と裕哉が言っていた通り、バンドと共に演奏したオリジナル曲やカヴァー曲には、尾崎裕哉に流れた時間から生まれた独特の言葉、感情、物語、ビートが詰まっていた。 『WITH YOU/HIROYA OZAKI』のライヴ会場に集まったすべての人々が、ミュージシャン・尾崎裕哉の誕生を祝い、そのサウンドを楽しんだ。 では、尾崎裕哉が表現しようとしている音楽の世界とはどんなものなのだろうか? 昨年、父・尾崎 豊が亡くなったという「26歳」を迎えた裕哉が、自らの音楽について『ローリングストーン日本版』8月号に語ってくれた記事を紹介する。

「音楽を通して社会に何ができるのかがテーマ」 

今も多くの人の記憶に残るミュージシャン、尾崎 豊。その息子である尾崎裕哉が、本誌に登場したのは尾崎 豊を特集した2011年7月号で、ラジオの公開収録インタヴューを行った時だった。
当時はまだ大学生だった彼が、いよいよミュージシャンとして本格的に活動をスタートするという。どういうヴィジョンでその一歩を踏み出すのか、いち早く、彼に話を聞くことに成功した。

─いよいよミュージシャンとしての道を歩き出す、と。今はまだ準備段階? 

そうです。

─以前、ラジオ番組に出させていただいた時は、ソーシャル・アントレプレナー、つまり社会企業家を目指していると言っていたけど。

そこは変わらないです。自分がなりたいのはそこ。ただ、音楽を手段として、社会に何ができるかもテーマでした。そのためには、まず自分が音楽をやらないといけない。そして、ただやるのではなく、ミュージシャンとしてきちんと自分の表現をしたいと思ったんです。

─今、26歳。世代的にはどの辺の音楽を聴いて育ったの? 

最初に聞いていた音楽って、母親の車の中で流れていたJ-POPが多いんです。父親の曲も含めて。あとマドンナのライク・ア・ヴァージンは母親の十八番でよく耳に入っていましたね。そして、15歳でギターを始めて、洋楽にハマっていきました。ジョー・サトリアーニパンテラツェッペリンなどを聴いて、そこからクラプトンなどにいきつつ、高校の時に、ジョン・メイヤーにハマった。今だとジェイソン・ムラーズジャック・ジョンソンジェイムス・ブレイク、ジョン・バトラー、ジェフ・バックリィ、ジェイムス・モリソン、、、。なぜかJから始まるミュージシャンが多いんです。大学くらいからそれらをコピーしながら、練習をして。ちなみにジョン・メイヤーにハマったのは、バンドができる環境がなく、ひとりでもできるミュージシャンだったからというのもあります。でも、最近はそれだけだとダメだから、友達やいろんな人に声をかけてやっています。

─父親の影響も感じるもの?

思いついくフレーズが、父親のこの曲だなっていうのはありますね。声とか、喉の筋肉の使い方とか、父親のマネはいっぱいしてきたから、歌いやすくなっているとは思います。ただ、それを壊したいがために、洋楽をコピーしはじめたというのもあって。今でも、たまに父親の音楽は聴きますし、父親の本を読んだりすると、純粋すぎてめんどくさいなって思いますけど。もし、生きていて一緒に話したりしたら、ケンカしてると思う。絶対に、高校生とかで家を飛び出している(笑)

─盗んだバイクで、、、みたいな(笑)。その上で、父親がやり残したことを意識している?

そうですね。父親は26歳で亡くなったのですが、僕が今年その年齢。彼が見られなかったもの、26歳から先の風景を僕が見られればいいなって。

─曲はできている?

何曲かはあるんですけど、満足していなくて。音楽を聴くのは得意なほうなんですが、それが肥えちゃってる分、自分を出すとなった時、簡単にはできない。

─歌詞は、やはり日本語? 英語も得意だと思うけど。

日本語が多いけど、両方ですね。言語として自分が歌いやすいかが重要だとは思っています。リズムも含めて。ただ、日本語は、英語の詞と比べて抽象的になりがちだなって思うんです。ワンフレーズだけ良ければ、あとはよくわからなくても成立しちゃう部分もある気がして。それも音楽の表現力だとは思いますが、、、。逆に、みなさんどうなんですか?

─たしかに、言葉の問題は難しくて、いろんなミュージシャンとそういう話になる。なぜ日本語の曲は、サビのフレーズが同じなのかとか。頭脳警のPANTAさんは、「日本語でも英語でもどっちでもかまわない、中身の問題だ」って。ちなみに内容的には? 社会問題に直結するような詞を書いている?

いや、まったくないです。社会問題って、そこに関わる人のさまざまな視座がありますし、例えば、誰かとお金で揉めたってこともあれば、地球規模の環境問題もある。それを歌っていいとも思うけど、音楽で社会に貢献しようとする時、それを直接的なテーマとして歌えばいいっていう問題ではないのかな、と。正直、ラヴ&ピース的なものには半信半疑な部分もあって。むしろ、具体的に何をどうやって、いつまでにするのか、というのを明確にしておかないとダメだと思います。

─うん。メッセージと同様に、アクションも大切だと。

そうしないと、いつまでたっても音楽が良ければいいんだというふうになってしまうし、ミュージシャン自身も社会的にその職業を成立させるのが難しくなる。僕は、ミュージシャンのプレゼンスを上げたい。で、そのために、ミュージシャンになる前に、大学で勉強したいと思ったんです。

一方で、今までの音楽にできなかったことはまだあって、それができると信じている。

それが僕のゴールです。

ブライアン・メイなんかも、博士号を取得していて、海外ではインテリ系のミュージシャンは多い。裕哉さんは、ミュージシャンをやりながら、最終的には、社会との問題にコミットしていくんですか?

そうですね。音楽は表現手段のひとつ。例えば、ジェイ・Zはプロデュースもすれば、自分で演奏もするし、野球チームのエージェンシーもやっていますよね。海外では、セレブリティが自分の資本を集めて、ベンチャー・キャピタルを立ち上げたりもしています。僕はそういうこともしたいし、それが主流になっていくかもしれま せん。ミュージシャンが『社会ってこうあるべきだよね』って歌うことだけでなく、人を巻き込み動かす力を活かして、いろいろな表現をしていていい時代だと思うんです。僕の方向性としては、そこですね。正直、まだぜんぜんできていないですが。ただ、志は低いよりは、高いほうがいいなって(笑) 

HIROYA OZAKI 
尾崎裕哉 1989年、東京都生まれ。父親は尾崎豊。3月に慶應義塾大学大学院を卒業し、本格的に音楽活動をスタート。3月9日、大阪RUIDOにて『WITH YOU/HIROYA OZAKI』を開催予定