matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

Yahoo!ブログからお引越し完了です。matagorou もしくは17isamuです。よろしくお願いします。

625DAYS

イメージ 1

1986年 福岡国際センターでのライブを終えた後 尾崎は無期限活動休業を宣言 5月に単身渡米する。
活動停止後 1月に「早すぎる伝説」が放送される。

昨年に行われたツアーの東京公演 代々木オリンピックプールでのコンサート映像で構成されており
1時間ほどの番組であった。 後に再放送を希望する声が多く届き 同年3月下旬 卒業シーズン再放送された。

7月からは ライブ映像、舞台裏などでダイジェスト構成された 「もっともっと速く」がフィルムコンサートとして全国100ヶ所 20万人を動員した。

尾崎死後 放熱への証ツアーが中止ということになり その代替ということでこの作品がフィルムコンサートとして 上映されました。

2004年には13回忌で再上映されました。

2005年 DVD化されて 世に送り出されました。

「もっともっと速く」は今日では 「625DAYS」とよばれている。
デビューライブ 新宿ルイードから 代々木オリンピックプールまでのライブを渡り歩いた日数のこと。

収録内容
1984.3.15新宿ルイード 1984.12.3秋田市民文化会館 1985.1.12日本青年館/
1985.8.25大阪スタジアム  1985.11.15代々木オリンピックプール 

舞台裏の映像リハーサルの映像なども収録。
撮影はご存知 佐藤輝氏のクルーそしてサトテル氏本人の編集。
映像のぶつ切りはファンには不評でしたね。(DVD化されてからの声)

尾崎が亡くなる前から この作品をビデオ化する動きがあったと おかんが話していたかな。
NYから帰ってくる前から 街路樹ツアーが行われている頃にも 活動があったと言っていました。
そして尾崎の逮捕、復帰、が最初のピークだったようで それからバースの頃は少し 停滞気味になっていたようですけど 亡くなったときが最大のピークで おかんは駅で仲間と一緒に署名を集めたとか。

忘れてはいけないのが これは尾崎のライブDVDではないということで あくまでのドキュメンタリー映画、作品として扱わなくてはならないということ。 
1曲フルコーラス収録されていなくても 当然と受け止めていた。

そしてここからは おかんがよく言っていたこと。
尾崎が亡くなった直後の 尾崎が映像として動く作品は「6 PIECES OF STORY」「LIVE CORE」
「TOUR 1991 BIRTH」 の3作品だけだっだ。

その中でも全盛期である十代の映像があるのはPV集である「6 PIECES OF STORY」だけ
十代のライブ映像を収録した映像作品は存在しなかったということ。
そもそも メディアの露出も極端になく 情報も少ない ファンにとっても謎が多い
その中で尾崎の初の映像を収録した作品がPV集「6 PIECES OF STORY」 でした。
ファンにとっては 宝物でした。

その後 死後数年が経って 「OZAKI18」「OZAKI19」が発売され 代々木オリンピックプールでのライブを映像作品「LAST TEENAGE APPEARANCE」 が発売。

新宿ルイード~代々木オリンピックプールまでの映像をダイジェストですべて見ることのできる
各個別に ライブの映像を見たいという気持ちもあったようですけど 十代の動く尾崎の映像をたくさんみたいという気持ちで 署名活動に動いていたようです。

おかんは その時結婚して 僕がお腹にいるのに よくやっていたと思う・・・・・・・・・・
私設FCに参加したのは 僕が生まれてからしばらく経ってからの話だったとか。