1985年 11月8日 岐阜市民文化会館
ライブ本番の尾崎は叫び続ける。
彼のホームグラウンドは東京という街であったが、幼少期を過ごした故郷でのライブではあったがその当時のことをファンたちが知るのは後年のことである。
高山市に住んでいる親族はライブに来ていた。
東海地方というのは彼は馴染み深く、これより後にも何度かツアー以外でも訪れたりする。
余談ながら尾崎の本籍地は岐阜県高山市であり、それは父健一氏の育った地であることも関係していたように思われる。
後に籍をいれる際にも尾崎はわざわざ朝霞の家からこの岐阜まで戸籍謄本をとりに訪れている。
さらに余談ながら筆者は読者によく知られているように名古屋に住んでいるが、父が岐阜で生まれたことからなにかと馴染みと因縁を尾崎に少し覚えることはあったが意識したことはない。
しかし最近自分の戸籍確認をすると、本籍地は父の岐阜県のまま私にも適用されており、少し驚いたことがあった。
と余談が過ぎた。
彼はライブを終えると東京へ戻っていく。
少しの休みを経るとそこには東京公演として代々木体育館でのライブが待っている。