matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

Yahoo!ブログからお引越し完了です。matagorou もしくは17isamuです。よろしくお願いします。

故郷というもの

イメージ 1

1987年 3月下旬

唐突ながら尾崎のことについてまた話は戻らなければならない。
彼は朝霞の実家で長旅の疲れを癒しながら再び見たNYの風景を思い出しながら作曲に励んでいたのではないかと考えられる。

同じ時期に尾崎の父健一氏は86年末をもって長く勤めた防衛庁(現防衛省)を定年退官し、3ヶ月自由な生活をおくったっていたが87年4月1日から再就職すべく新しい職場である証券会社への入社も決定してぶらぶらしていたという。

この時間のあるチャンスに健一氏は自分の出生地であり、少年時代を過ごした愛知県半田市の待ちを息子である豊に見せておくのも悪くないと、急に思い立ち旅に出ようと決意したようである。

尾崎は21歳になっていた。
かつて幼少期に預けられたのは岐阜県高山市であったが、今回は父の出生の地を見ることになる。
音楽活動から離れ表舞台からまたも遠のいているが創作活動がうまく進展しない尾崎には息抜きのような感覚であったのかもしれない。