1987年 3月26日 半田
話はあまり前に進展していないようにも思うが半田での話を続ける。
この半田という地が尾崎の父健一氏の出生地であることは以前触れたような気がする。
健一氏は小学校2年生までをこの地で過ごし、父親の帰農に従って岐阜県高山市に移住し小学校3年からの新学期を高山で過ごした。
半田には篆刻をしている書家、健一氏の兄の家族が住んでいることもこの地が父の故郷であり、高山と並び尾崎家のルーツでもあるように考えられる。
勤労福祉会館に落ち着いて、広い浴場で旅の汗を流し、食堂で夕食をとっていると健一氏の実兄の子
豊からすれば従兄弟にあたる榊原要氏が豊のファン2人を伴って尋ねて来た。
要氏は半田市内で「カガシヤ」という喫茶店を経営しており(現在は閉まっている)、デビューの時から豊の大ファンであった。
夕食語場所を要氏の喫茶店に変え、書家をやっている健一氏の兄とその家族は既に集まっており豊は初めての親族のたくさんの顔に出逢った。
ファンだというお隣の寿司屋さんから近くの海でとれたというシャコの差し入れがあり、これらを肴に半田の地酒を飲みながら大いに盛り上がったという。
シャコについては健一氏の好物であり、少年時代を過ごしたこの地でよく採れたという。
9時半頃会館の宿舎に帰り、健一氏と豊は23時杉まで部屋で語らったというが、健一氏がこの少年時代をどうすごしたか?
というのが話題の中心であったという。