1985年 12月7日
舞鶴総合文化会館
尾崎は1日の休みを経て京都にきていた
ここからの尾崎のスケジュールは中々多忙を極める。
すぐに始まる九州ツアーでは各県の会館をまわるがそれも移動とライブの連続であった。
しばらく内地とはお別れであった。旅は嫌いじゃないと尾崎は語っていた。
しかしコンサートだけが自分のすべてではないこともわかった上での、20歳になったばかりの厳しい寒さのなか
尾崎はツアーを続けている。
休みもあまりない、家にも帰れない生活があればそれは人を苦しめたことであろうと筆者は思う。