matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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85年という1年

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福岡国際センターでのライブを残すのみとなった尾崎であるが、この85年という年は始まってからこの終わりがけである年末までアーティストとして、初めてフル稼働した1年となった。

振り返れば1月に行った東京の日本青年館公演に加えて、新曲をカップリングして出した
卒業は尾崎を認知させるきっかけとなり。

2ndアルバム回帰線をいざ出してみればオリコンチャートを賑わせ、順位としては初登場1位を獲得して自分がスターダムに登っていくような感じをしていたかもしれない「OZAKI」という存在が世間を賑わせている頃本人である尾崎は休暇をもらってNYにいたが、帰国するとツアーバンドにサックスを新たに加えて、以前よりも本数を増したコンサートツアーTropic of Graduation TOURに出かける。

十代最後の夏を尾崎は全国各地に点在する、自分を待ち望む人々と出会うことに費やした。
その数40本近く、初日であった立川市民会館では初めてワンマンライブである大阪球場でのライブのことを発表した。

この5月の発表から3ヶ月半、8月25日に迎えたツアー最終日の大阪球場では25000人を動員する結果となった。

この大阪球場はチケットは即日完売とまさに尾崎の人気を知らしめる結果となった。

しかしこのライブで終ったツアーであったが、休むことなく十代で3枚のアルバムを出すんだという目標を達成するために収録する曲をすべて完成させずに始まったレコーディングは3枚目のアルバムを尾崎自身の十代最後の日である11月28日に出すために必死になって作り締め切りギリギリで完成し、またツアーにと出かけていった。

11月14日、15日に行われた代々木体育館2Daysのライブのチケットは即日完売、2日間で30000人を動員と十代最後の大きなイベントとして成功を収め、その後にも続く、ツアー。

11月28日壊れた扉からを出した翌日、29日北海道室蘭でのライブで尾崎は20歳になった。

そして尾崎はもうすぐこの激動の85年を終えて、最後に残ったライブを行うために福岡へむかう。
その地がこの長く続いた自身の十代の活動に決着をつける地になることを決めていたことであろう。