matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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オフィスと許可

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1985年9月 オフィス

新メンバーのオーディションを終え、尾崎は新アルバムでのことについて、話をすべく、マザー・エンタープライズのオフィスにきていた。

時間は昼過ぎ、朝に弱いのは尾崎のいつものことのようだ。

「次のアルバムはハート・オブ・クラクションを母体にして作る」

そんな話をCBSソニーのディレクター須藤晃氏と話をしたのは、もう2ヶ月前、7月の上旬だった、
あの時ツアーの途上にいた、尾崎は大阪球場でのライブを終えて、少なくともそのライブはすでに神格化されているようなものであった。

オフィスへ入ると、電話がひっきりなしに鳴りっぱなしだ。
有線放送のかかったラジオからは先月発売されたハウンド・ドッグの新曲「ff」がかかっている。

まだツアーが続いている、ハウンド・ドッグのチケットを買えなかった子供たちからの電話に対応している、スタッフの姿を見ている。その張本人とも言える、ハウンド・ドッグのボーカル大友康平氏が偶然にも、事務所にて送り届けられた、ファンレターに目を通していた。

「おっ、久し振り」
そう大友氏がかけると、悪ガキのように挨拶する尾崎の姿がある。

「これは、これは、大友さん! へへへ」
2人はなんとなく握手を交わすと、世間話を始める。
先月ハウンド・ドッグは東のスタジアムライブとして8月10日西武球場でのライブを大雨というアクシデントに見舞われながらも成功させ、まだこの9月上旬、ツアーの途上にある。

その西武球場を終えて、尾崎が大阪球場でのライブを控えた8月中旬、偶然にも仙台のホテルで酒を酌み交わした情景については以前述べた。

ハウンド・ドッグはまだツアーの途上にあるにもかかわらず、次期コンサートツアーの日程が発表され、チケットは各地で完売が相次いでいた。

そんな多忙な2人を見つけ、部屋から出てきたのは社長の福田氏だ、尾崎はこの人に話があってやってきた、大友氏と分かれると、尾崎は本題にはいる。

確認事項を先に話した。
・発売は尾崎の意向と十代最後という以前から持ち続けてきたコンセプトとして、十代最後の日、11月28日に発売するということだ。 レコーディングの日取りも決まり、すぐにでもはいるということ。

そこへ福田氏はこのアルバムを元にしたコンサートツアーを計画していることを話、すべて決まり次第、尾崎、メンバーへと伝えることになった。

そして最後の話は次のアルバムをツアーバンドとして今まで共にきた、ハート・オブ・クラクションで製作したいという尾崎の意思を尾崎は話した。

そこへ福田氏は尾崎の考えを聞いて、快諾した。
少なくともYUTAKA OZAKIという表記が目立っていたが、YUTAKA OZAKI&HEART OF KLAXON
という表記になったのは、この日以降ではないだろうかと筆者は考える。